映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ある少年の告白(2018年)

2019-04-28 | 【あ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66965/

 

以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 ジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)はアメリカの田舎町の牧師の父(ラッセル・クロウ)と母(ニコール・キッドマン)のひとり息子として愛情を受けて育ち、輝くような青春を送っていた。

 しかし思いがけない出来事をきっかけに、自分は男性が好きであることに気づく。ジャレッドは意を決してその事実を両親に告げるが、二人はその言葉を受け止めきれず、動揺する。

 父から連絡を受けた牧師仲間が続々と家を訪れ、助言をする。父は、「今のお前を認めることはできない。心の底から変わりたいと思うか?」とジャレッドに問う。悲しげな母の顔を見たジャレッドは、決心して同意する。

 ジャレッドは母の運転する車で施設に向かう。治療内容はすべて内密にするなど細かな禁止事項が読み上げられ、部屋へと案内されると、白シャツの同じ服装の若者たちが弧を描くように椅子に座っていた……。

=====ここまで。

 今でもアメリカにあるというゲイ矯正施設のお話。

 

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 それほどそそられた訳じゃないのだけれど、何となく見に行って参りました。キリスト教って一体、、、。

 

◆親が受け容れる以外に道はない。

 “性の多様性を認めよう”という世界的潮流にある中で、アメリカでは、まだこのような施設が“神の教え”の名目下に残っているらしい。これまで、キリスト教の色々な蛮行を映画で見てきたので、本作を見ても正直なところ全く驚きはない。ましてや広大な田舎国家であるアメリカなら、さもありなんという感じ。

 数年前に松原國師著 『【図説】ホモセクシャルの世界史』(作品社)という本を購入したんだが(まだ全部は読んでいないけれど)、その本によれば、同性愛というのは、記録が残る範囲でメソポタミア文明の頃からあって、もう5000年の歴史を刻んできているという。つまりは、ほとんど人類の歴史と共にあると言ってもよいのでは? キリスト教なんかよりゼンゼン古い。日本でももちろんあって、“日本に同性愛はなかった”などとのたまうゴリゴリ保守の人々は一度この本を読んだ方がいいかも。古今東西の同性愛の記録が、絵や写真、図が満載で解説されていて、実に面白い本である。何せ600ページ以上もあって3センチくらいの厚みのある本だし、図も豊富なので、最初から丁寧に読むという感じでもなく、あちこち拾い読みしていてなかなか全編読破するに至っていないのだけれど。

 それにしても、同性愛はタブーだって聖書に書いてあるらしいんだけど、本当にキリスト自身はそう言ったんだろうか? 同性愛ではなくても、キリスト教ってのは性欲というか、性的悦楽をタブー視しているけど、キリストもそう言っているの? セックスは繁殖のためだけに快感を伴わずにやれと?

 まあ、その辺がよく分からなくても、牧師である父親が、息子の同性愛告白を受け容れられないのはよく分かる。生理的に受け容れられないのもあるだろうし、自分の保身から受け容れること=自身の破滅、という思考回路が働くってのもあるだろう。

 しかし、本作は根本的には、親が自身の理想から外れた我が子とどう向き合うか、という非常に普遍的なテーマを扱っている。だから、同性愛とか、信仰とか、それらはあくまでも副次的なものであり、本作の本質を見れば、息子ジャレッドの行動と、母親の変化、父親の苦悩というのは、信仰を持たない人間であっても共感できる。

 だから、見た目の素材に囚われることなく、多くの子を持つ親にとって、本作は見るに値する映画だと思う。そして、“自身の理想から外れた我が子とどう向き合うか”という問いに対する答えは、ただ一つなのだということに行きつくはずだ。その答えは、本作の終盤 「自分の信念でお前(ジャレッド)を失うことになるかも知れないが、それは嫌だ」という父親に対し、ジャレッドが言っている。

「僕を失いたくないなんてウソだ。僕を変えることは出来ない。僕を失いたくなければ、父さんは僕を受け容れるしかない、僕が同性愛者であることを受け容れるべきだ。それが出来ないならもうこれっきりだ。父さんは僕を失うんだ」(セリフ正確じゃありません)

 若いのに、ジャレッドはここまでちゃんと親に対してモノを言えて、本当に素晴らしい。この言葉を言うのはとても勇気がいるはず。でも彼はそれをちゃんとやり遂げ、父親の目を少し開かせた。父親は、ここまで言われてようやく(不本意だったろうが)「(ジャレッドを受け入れるよう)努力するよ」と言ったのだ。

 ちなみに、私の母親は、私の人生を通して自分の人生のリベンジを果たそうとし、それを拒絶する私に対し「親とうまくやって行きたいのなら、親は変わらないから、子どもであるお前が変われ!」と面と向かって言ってきた。もう25年くらい前だけど。あの時の私に、ジャレッドの勇気のほんの10分の1でもあれば、、、。そして、母親は娘である私を現に失っている。実際、あの人は死ぬまで変わらないと思うが、変わるにもタイミングは大事で、ジャレッドがオッサンになってから父親が変わる宣言をしても、ジャレッドにしてみれば「何を今さら」になるだけで、むしろ溝が深くなる可能性もある。ジャレッドに二択を迫られた時点で「努力する」と曲がりなりにも言えた父親は、まだ望みがある。ただただ、父親が頑張るしかないのよ。

 

◆その他もろもろ

 父親を演じていたのはラッセル・クロウなのだけど、あまりの太り様に、最初彼だと分からなかった。顔もゼンゼン違うし、何より身体つきがあまりにも違い過ぎて、衝撃的だった。人間、こんなに太れるものなのか?? 一方の、母親役は、ニコ姐で、相変わらずの痩身。夫婦役で2人が一緒にいるシーンは、まさに、団子に串みたい。不釣り合いすぎる。

 本作の原作者ガラルド・コンリーの両親の画像が、エンドロールの前に出てくるのだが、実際の夫婦に確かにこの2人は似せているが、母親の方はもう少しふくよかだ。ニコ姐の細さはちょっと尋常じゃない感じで、もう少し太った方が良いんじゃないかね? 50代半ばであんまり痩せていると、貧相に見えるし。まあ、ビノシュみたいにどすこい体形になっちゃうのもいただけないけれど、、、。

 ジャレッドを同性愛に目覚めさせる(?)引き金になった“レイプ事件”のレイプ犯ヘンリーを演じていたのは、ジョー・アルウィン。『女王陛下のお気に入り』にもヘンな化粧して出ていたけど、こっちで見る方がはるかにイケメン。『ベロニカとの記憶』にも出ていたとは、、、。本作ではトンデモなゲス野郎だけど、その風貌から到底そんな風に見えないのに実は、、、、という役柄にピッタリ。ジャレッドをレイプするシーンは、地味だけど凄惨で、ちょっと正視に耐えない。しかも、コイツは常習犯で、被害者はジャレッドだけでないばかりか、自分の性癖を隠すためにさらにトンデモな行動に出るのだから、もうとことんゲス。そういう役を、こういう爽やかなイケメンがサラッと演じてしまうあたり、やっぱり日本のタレント役者とは根性が違う。こんな俳優がたくさんいるイギリス映画界が羨ましい。

 肝心のジャレッドを演じていたのは、最近よく見るルーカス・ヘッジズ。本作の予告編で、ジュリア・ロバーツとの共演作『ベン・イズ・バック』が流れて、何か本作と似たような雰囲気の作品らしく、こういう似た感じの作品で同じ出演者の予告編を流すってのは、いかがなもんかねぇ、、、と思ってしまった。別に悪くはないけど、若干興醒めな感じはするよなぁ、、、と感じたのは私だけかもね。本作ではほとんどルーカス君は笑わないんだけど、考えてみると、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『スリー・ビルボード』での彼も、ちょっと屈折した役だったし、あんまり彼の笑顔をスクリーンで見たことないかも。そのせいか、表情豊かというイメージがあまりないなぁ。演技は上手いのだろうけど、正直それもあんましよく分からない。本作では、彼より出番の少ないジョー・アルウィンの方がかなりインパクトは強い。まあ、でも若干22歳でキャリアも十分、今後の俳優人生も明るそう。

 矯正施設の責任者役&本作の監督を務めたジョエル・エドガートン、『ゼロ・ダーク・サーティ』しか出演作見たことないけど、一見普通で実はトンデモな施設責任者がなかなかハマっていた。監督2作目みたいだけど、監督の才能もかなり高いのでは?

 

 

 

 

 

見た目より普遍的なテーマを描いている映画です。

 

 

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コメント (2)
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