goo

駿台雑話壱 24 扁鵲、薬匙を捨つ(五).

(裏の畑のフキの花、蕗の薹を収穫しないとこんな花)

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  扁鵲、薬匙を捨つ(続き)
體用の説もまたしかり。道に用あれば必ず體あり。寂然不動は體なり。感じて遂に通ずるは用なり。静にして存養すれば、體に即(つい)て用存し、動いて省察すれば、用に即いて體行わる。これを體用一源、顕微無というなり。孔子の「敬以って内を直(なお)くし、義以って外をにす。」と宣い、子思中和をもて大本達道と言い、孟子の仁義をもて正位大道という。これまたすべて同一理なり。體用をいわねども、いずれか體用にあらざる事ある。かの曲学の能徒、僅々として、小を得て自ら足れりとすれば、道に全體大用あるを知らぬも理(ことわり)ぞかし。深く論ずるに足らず。
※ 體用- 体用。(中国哲学上の概念)本体と作用の略称。本質とその現象の意。
※ 存養(そんよう)- 本来の性質を失わぬようにして,その善性を養うこと。
※ 顕微(けんび)- 微細なものをあきらかにすること。
※ 無(むけん)- ひっきりなしであること。間断のないこと。
※ 方(けた)- まじめなさま。かたいさま。
※ 子思(しし)-中国、春秋時代の学者。魯の人。孔子の孫。曽子に師事し、孟子に影響を与えた。「中庸」の著者と伝えられる。
※ 中和をもて大本達道 - 「中庸」に「中は天下の大本なり、和は天下の達道なり。」
※ 達道(たつどう)- 古今東西を通じて一般に行われるべき道徳。君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の五つの道。


第三等には、放蕩を貴(たっと)び、名検を厭い、専らに文辞典籍を学とし、一度(ひとたび)、程朱居敬窮理の説をきゝては、腐儒常語とて、相共に嘲笑う程に、学者脩己の道においては、講ずべきものともせず、その議論をきくに、不急の察、無用の弁、ぎょう/\として人耳を喧(かまびす)しゅうせざるはなし。何をか取り挙げて言い出すべき言の葉にせん。ただ太息に付して止みなまじ。
※ 文辞(ぶんじ)- 文章のことば。文詞。
※ 典籍(てんせき)- 書物。書籍。
※ 居敬(きょけい)- 程朱学で、窮理とならんで強調される学問修養の方法。うやうやしい態度で心身を正しく保つこと。
※ 腐儒(ふじゅ)- 理屈ばかり言っていて役に立たない儒学者や学者をののしっていう語。
※ 常語(じょうご)- いつもきまって言う言葉。常套語。
※ 脩己(しゅうこ)- 自分の修養に励んで徳を積む。


むかし、扁鵲、斉桓公を見て、二度までは、なお言う事ありしが、三度に及びては、もはや療治の手なかりし程に、薬匙をすてゝ、驚き走りき。俗学の弊もの、こゝに至りては、桓公の疾の日に深きが如し。儒に扁鵲ありとも、療治の手無かるべし。況んや、老学非才無智の身にて、何とて道の軽重をなすに多らん。ただ口を箝(つぐん)で驚き走りつべしこそ覚え侍れ。
※ 太息(たいそく)- 大きなため息をつくこと。嘆くこと。
※ 扁鵲(へんじゃく)- 中国、戦国時代の伝説的名医。
※ 桓公(かんこう)- 春秋時代・斉の第16代君主。
※ 疾(しつ)- やまい。病気。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )