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「竹下村誌稿」を読む 155 竹下村 15

(散歩道のアジサイ5)

青い紫陽花は酸性の土壌に咲き、赤はアルカリ性の土壌に咲く。自然界のリトマス試験紙である。従って、ここは酸性の土壌と云うことになる。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

大凡(おおよそ)検地の事たる、主として賦租の公平を期し、民に労逸の偏(かたよ)りなからしむるに在り。而して賦租の厚薄は民力消長の係る所なれば、当局の主宰たるもの、寛厳その宜しきを察せずんばあるべからず。然るに口碑に伝うる所によれば、寛文の検地は代官所々在地近傍に寛にして、他地方に厳なりしと。兎角の非難ありしが如し。思うに武断政治の時代に在りては、奉行、代官など勝手なる振舞も少なからざりし如くなれば、或るは伝うるが如き事実なきを保(たもち)せず。
※ 労逸(ろういつ)- 苦労と安逸。骨折りと楽しみ。
※ 寛厳(かんげん)- 寛大なことと厳格なこと。
※ 武断政治(ぶだんせいじ)- 武力をもって行う政治。特に江戸初期、三代将軍家光までの政治支配のありかたを指す。


   唐崎の は奉行に さも似たり 直せとすれど 曲がらぬはなし

などあるにても知るべし。
※ 唐崎の松(からさきのまつ)- 近江八景の一つ「唐崎の夜雨」で知られる、滋賀県大津市にある唐崎神社の松。

因って、左に検地前後両年に亘る年貢免定を掲げて参考となすべし。これ他山の石として玩味すべき事ならずや。
※ 年貢免定(ねんぐめんじょう)- 日本の近世において、領主が農民に課する年貢、諸役を、村ごとにまとめて提出すること。
※ 玩味(がんみ)- 物事の意義をよく考え味わうこと。含味。


       竹下村、納むべき酉の御年貢米の事
一 高百五十三石二斗八升四合      田畑共
    内
  一石二斗六升四合          堤敷水代引き
  四十三石二斗四合          当酉の日損穂枯れ引き
   小以四十四石四斗六升八合
  残り百八石八斗一升六合   有高  この取米三十八石八升六合  三つ五分(三割五分)
右の通り、当成箇想定候。郷中大小百姓残らず寄合い、高下らざる様に免割致し、極月(12月)十日已前に、急度皆済すべく、この割符、写しをいたし、庄屋判仕り、手代に加判仕らせ、小百姓、中間へ渡し置くべきものなり。
  寛文九年(1669)酉十一月十五日    長谷川藤兵衛 ㊞
                          庄 屋
                          小百姓  中

※ 小以(こい)- 検地帳で石高を集計して、その小計。
※ 成箇(なりか)- 取箇。江戸時代、田畑に課した年貢。
※ 免割(めんわり)- 納租額を領主から村方に交付する文書を免定と呼び、また各百姓への割付けを免割と称した。
※ 割符(わりふ)- 後日の証拠となるもの。
※ 手代(てだい)- 江戸時代、郡代・代官・奉行などに属して雑務を扱った下級役人。
※ 中間(ちゅうげん)- 江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。


       竹下村、納むべき戌の御年貢米の事
一 高二百四十五石四斗八升七合     田畑共
    内
  但一石二斗六升四合         永川成り、当戌開発起し
   九十二石二斗二升一合       当戌御検地出高
  内七十五石一斗五升八合       当戌水損日損引き
  残り百七十石三斗二升九合   有高 この取米五十一石九升九合  三つ取り
(奥書前文書同断、略す)
  寛文十年(1670)酉十一月十五日    長谷川藤兵衛 ㊞
                          庄 屋
                          小百姓  中

(以上、下島氏記録)


読書:「夫婦笑み 父子十手捕物日記18」 鈴木英治 著
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