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「徳川記 巻四」の解読 7

(散歩道のクサキョウチクトウ、一昨日撮影)

熊本の球磨地方では、線状降水帯とかで、洪水が起きている。集中豪雨とは呼ばれていたが、線状降水帯とは、最近、しょっちゅう聞く言葉である。日本の天候もずいぶん様変わりしたと思う。

夕飯は、NHKの番組で作っていた、「トマトすき焼き」と云うのを作ってみた。材料は、豚肉、タマネギ、トマト、万能たれ、砂糖、残り物のキノコ類をぶち込んで、量は皆んな適当であったが、少し甘いと云うも、まずまず食べられた。残り汁にうどんを入れて仕上げとする。すき焼き味に、トマトの酸味が加わって、不思議な味わいとなった。

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「徳川記 巻四」の解読を続ける。

義元、石川六左衛門を召し、この敵、合戦を持つや否や、と云々。石川駈け出し巡見して立ち皈り、敵合戦を持つ。唯今、掛け来たるべし。義元、勢は何程(なにほど)と問われ、五、六千騎と答う。然るを、他人(あだびと)、三千ばかりと称す。石川曰く、高地の敵下より見れば微勢(びぜい)も大軍に見ゆる。また低地の敵、上より見れば大軍も微勢のものなり。各(おのおの)居ながらの積りは(まこと)からず。早や駈け来たるべし、と云々。
※ 他人(あだびと)➜ ほかの人。別の人。
※ 微勢(びぜい)➜ わずかな軍勢。少ない人数。
※ 実し(まことし)➜ 本当だ。本物だ。本当らしい。


信長朝臣方には、柴田権六、林佐渡守を始め、信長の(くつわ)を扣(ひ)き諌(いさ)めて曰く、競いたる大軍に、微勢を以って駈けず、云々。信長朝臣の曰く、不意を討つ術(すべ)を知らずや。敵、今朝の勝ち軍(いくさ)に誇りて、鳴海桶迫(おけはざま)へ兵粮を遣わし、心を緩(ゆる)ます処、信長朝臣、急に駈け、笠寺東より押し出し、善照寺の城に於いて二手に分け、一手は敵の先手(さきて)に駈け、一手は義元の本陣に切り入るべしと下知(げち)す。
※ 轡(くつわ)➜ 手綱(たづな)をつけるため、馬の口にかませる金具。

簗田出羽、先登(せんとう)に進み、前田孫四郎利家(十八歳)、首を捕り来たる時に、雨(しの)を突き、織田造酒亮、林佐渡守など、稠(おお)く本陣に切り入り、義元帷幕(いばく)の内より、軍勢騒動止められ、然る処に、服部小平太と名乗りて、鑓を以ってこれを突く。義元太刀を抜く。服部が割(さ)く、瞭々(りょうりょう)。その内、毛利新介、義元を突き伏せ、首を討ち捕る。諸軍大将の討ち死にを聞き、騒ぎ立ちて敗北す。
※ 篠を突く(しのをつく)➜ 篠竹が突き立つように雨が激しく降る。篠突く。
※ 帷幕(いばく)➜ (幕を張りめぐらした本陣の意から)作戦や機密のことを計画、相談する場所。
※ 瞭々(りょうりょう)➜ はっきりしているさま。あきらかなさま。

(「徳川記 巻四」の解読つづく)

読書:「わるじい秘剣帖 5 なかないで」 風野真知雄 著
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