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「松平記 巻四」の解読 6




(番生寺公園のセンダンの花)

特別定額給付金、郵送で手続きを終えた。

島田のOさんより、新タマネギを頂く。自家菜園で丹精込められたものである。

金谷宿大学、「古文書に親しむ」の二講座、来月から開始の案内を郵送した。時間つぶしにと、「尾張者異国漂流物語」のコピーを同封した。

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「松平記 巻四」の解読を続ける。

一 然れども、頓(やが)て天罰あたり、三年も過ぎざるに、葛山は駿河を約束の通り下さるの由、信玄へ申せば、信玄其方(そなた)参らすべくは、甥の氏真にこそ取らすべけれとて、さらに加恩(かおん)も無かりしは、甲州にて謀叛(むほん)を起し、小田原を引き入れ、甲府を傾けんとす。この事顕われ、信濃、諏訪にて、一門五人張り付けにせられける。瀬名殿も、父は頓(やが)て無言の煩(わずら)いをして果て、子息は甲州を押し出されて、小田原に牢篭(ろうろう)し、有るも無きかの躰に成り、朝比奈は後に駿河に永らえけるが、勝頼滅亡の砌(みぎり)、家康に切られ、皆な主人の罰当(ばちあた)り一生の中に、その家を亡ぼしけるぞ、不思議なる。
※ 参らす(まいらす)➜ さしあげる。
※ 加恩(かおん)➜ 禄などを増し与えること。
※ 牢篭(ろうろう)➜ 引きこもること。人前に出ないこと。


一 信玄は駿河の降参の人々の妻子を人質に取り、甲州へ遣わし、江尻の井上の近所に、山城のかき揚げを致し、我が身は久能に野陣(のじん)して駿河を平均に治めんとす。然れども、駿河衆はなお、残る人々、浅原、由比、斉藤は、いく見(伊久美)の山に篭り、大原肥前守子息、右衛門佐は組侍並び与力、日比(日頃)肥前守混成の人々相備(あいぞなえ)し、花沢城に篭る。これは氏真の近習なれば、御供申し、懸河(掛川)に篭るべきが、懸河の城主備中守と右衛門佐、不和にて、日比(日頃)、組の衆まで割れ/\にありし故、花沢に篭り、是非とも甲州衆と一合戦と心がけ候なり。
※ かき揚げ(かきあげ)➜ 土をかきあげて、手軽く城を築きあげること。
※ 野陣(のじん)➜ 野に設けた陣営。野営。
※ 平均(へいきん)➜ 平定すること。統一すること。
※ 相備(あいぞなえ)➜ 軍団がそれぞれ陣を張るときに、 隣り合わせた陣を互いに呼ぶ称。
※ 備中守(びっちゅうのかみ)➜ 掛川城主、朝比奈泰朝。


一 藤枝に、長谷河二良右衛門、大将にて、彼が一党、長谷河名字廿一人篭る。都合三百余人これ在り。
※ 長谷河二良右衛門 ➜ 長谷川次郎右衛門尉正長。

(「松平記 巻四」の解読、つづく)

読書:「受け月」 伊集院静 著
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