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「家忠日記増補25巻3」の解読 44

(庭のシラン)

午後、久し振りに旧金谷町から出て、藤枝のエスポットに行く。金谷ではどうしても見つからなかった水性ボールペンを買いに行ったのだが、国一バイパスは隙々であった。今日でゴールデンウィークも終りで、静岡では多くの自粛要請も解除された。明日から少しずつ日常が戻ってくると思う。

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「家忠日記増補25巻3」の解読を続ける。

この内、駿河先方精兵の首級、所謂、岡部丹後守、三浦右近、森川備前守、孕石和泉守、朝比奈弥六郎、進藤与兵衛、油井加兵衛、油井藤太夫、岡部帯刀、松尾若狭守、名郷源太、武藤刑部丞、六笠彦三郎、神応但馬守、安西平右衛門、安西八郎兵衛、三浦雅楽助
  栗田が従兵、信州の士
栗田刑部丞、栗田彦兵衛及び弟二人、勝股主税助、櫛木庄左衛門、山上備後守、和根川雅楽助
  大戸が従兵
大戸丹後守、浦野右衛門、江戸右馬允
  横田が従兵
土橋五郎兵衛、福嶋本目助
  与田能登守が従兵
与田美濃守、与田杢左衛門、与田武兵衛、大子原川三蔵、江戸加助
  都合、首級七百三十余

廿三日 昨夜高天神之城陥るの時、中に篭(こも)る処の兵数百人、撃ち捕らるゝといえども、今日実検(じっけん)に及びて、城将らの首不足有り。その外、撃ち洩れたるゝ城兵など、近辺の山林に隠れ入るの由、その聞こえ有るによって、諸将に命じてこれを探(さぐ)り求めしめ給う。下卒などは数輩尋ね出して、これを撃ち捕るといえども、吏士(りし)の首は得ず。
※ 実検(じっけん)➜ ある事柄が事実かどうか、また本物かどうかを実地に調べること。ここでは首実検。
※ 吏士(りし)➜ 役人。ここでは役付きの武士のことか。


廿四日 大神君、高天神より浜松の城に御凱旋有り。去年より高天神の城を囲む諸将らを召して、軍功を褒せられ、各休暇を賜わりて、居城に帰る。

六月大
廿八日 大神君、浜松の城、御進発有りて、見付の駅に陣し給う。

七月小
一日 松平主殿助家忠、命を奉じて相良に兵を発す。
三日 相良の取出を修せしめ給う。
この月より、武田勝頼、甲州韮崎に城を築いて、新府中と号す。

九月大
廿五日 浜松の城、経営(けいえい)に依って、家忠を召す。家忠、浜松に参候して、城に登りて、大神君に謁す。
※ 経営(けいえい)➜ 土地を測り、土台を据えて建築すること。
※ 参候(さんこう)➜ 高貴な人のもとに参上し、御機嫌をうかがうこと。伺候。


十月小
十四日 浜松の城、経営成る。

十二月小
十五日 大神君、馬伏塚に狩りし給う。
十七日 牧野の城の警衛、西郷孫九郎家員に代わりて、松平主殿助家忠、これを勤む。
十八日 信長、兵を駿甲に出さんがため、西尾小左衛門尉を遣わし、(りょう)を東條に入る。
この月、奥平九八郎(時に十五歳、奥平信昌が嫡子)、大神君の御前にして元服す。御諱(いみな)の字を拝受して家昌と号す。御太刀(守家(もりいえ))を家昌に賜わる。
この年、大神君の御妹を以って、松平玄番頭家清に嫁(か)せしめ給う。
この年、大久保五郎左衛門尉忠俊卒去(そつきょ)(八十三歳)。
今年、渡辺弥之助光をして足軽頭になさしめ給う。
※ 粮(りょう)➜ 旅行や行軍などに携帯する食料。糧食。かて。
※ 守家(もりいえ)➜ 鎌倉時代の備前国の刀工の世襲名。
※ 卒去(そっきょ)➜ 身分のある人が死ぬこと。

(「家忠日記増補25巻3」の解読、以上で終わる。「家忠日記増補」はまだまだ続くが、高天神の戦いまでと決めていたので、きりの良い所で終りにする。)
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