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日本左衛門騒動記 7 手下同士打ちの事(前)

(散歩道のムシトリナデシコ。僅かな土にしぶとく咲く。
夕方のせいか、カメラのせいか、実際はもっと赤みを帯びた赤紫色である)

島田のOさんより、新玉ねぎを頂いた。明日、新玉ねぎを使ったパスタを作ってみようと突然に思いついた。テレビドラマ「なるようになるさ」を見ていて、最後に新玉ねぎを使ったパスタのレシピがネットに出ていると聞いていて、それを思い出したのである。早速ネットでレシピをゲット。材料の中に、パンチェッタ(短冊切り)と、知らない単語が出てきた。パンチェッタ=豚のばら肉を塩漬けにしたもの。生ベーコン。すぐに解明。ベーコンよりも脂分が多いのだという。

それにしても、橋田寿賀子の脚本は出てくる人がことごとく、説明的で粘着質な長ゼリフなのだろう。視聴者として少し疲れる。

日本左衛門騒動記の解読を続ける。

日本左衛門、手下同士打ちの事、並び小笠原土丸殿、検使の事
かくて日々物騒がしき、遠州、近江、三河辺、諸人、在々宿々、山の奥、穏やかならざる事どもなり。

頃は延享三丙寅(1746)四月下旬、掛河宿より南に当り、満水(たまり)坂という所、横須賀の城下近く、掛川領分の堺、腹摺(はらすり)峠という所、殊の外淋しき所なり。この先に満水坂と言う所にて、日本が手下の盗人ども、三人集り喧嘩をぞ致しける。折から横須賀の人、通りかかり、何者なるぞと窺い見れば、これぞ日本左衛門が手下の者ども成るべしと、木陰に忍び聞きしかば、わずか金子壱歩(分)ばかりの配分金、弥々(いよいよ)互いに掴み合い、一人の奴が大脇指を引き抜き、則座に二人を切り倒し、跡をも見ずして逃げて行く。木陰に忍び聞き居る人は、早々急ぎ行きにける。

手負い弐人は半死半生、近所の者に見付けられ、早々名主へ申し出、大勢その場へ立ち寄りて、何方の者なりと改めけれども、一言の答もなし。相手知れねば早々に御地頭所へ訴え出、地頭役人御聞き届け、見使を差し越し、その村へ御預け、この者どもは詮議有りと、養生仰せ付けられて、江戸御屋鋪へも御申し越されし趣なり。

手負い弐人は、段々に平愈致し候えば、御地頭、小笠原土丸様へその由を申し上げ候えば、その両人召し連れ参るべしと仰せられ、村役人両人を引き連れて、御白洲へぞ出でにける。前後の始末、段々に御吟味なされ候えば、両人の者どもは、私ども兼ねて無宿者ゆえ、盗人の仲間入り仕り、少々配分企ての事に付、口論致し候と、己が罪を申し上げ、兎角いつわり申しても、所詮命は亡きものと、有り様に申し上げ候なり。
※ 小笠原土丸-掛川藩小笠原家第三代藩主、小笠原能登守長恭(ながゆき)、土丸(ひじまる)は幼名。延享元年(1744)、五歳で藩主となる。この延享三年はまだ七歳であった。日本左衛門横行の取締りが出来ず、懲罰的に、同年九月、陸奥棚倉藩へ移封を命じられた。
※ 有り様(ありよう)- 実際にあったとおりの状態。ありのまま。ありてい。


御役人中、聞き届け、それは仲間の同士打ちなり。殊に無宿と有るなれば、吟味に及ばず、追い払えと、御役所を引き出し、何国へなるとも早く行けと有りければ、弐人の盗人、毒蛇の口をのがれたる心地してこそ、逃げて行く。
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