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日本左衛門騒動記 1 日本左衛門の由来書の事(前)

(散歩道のコバンソウとカラスムギ)

さあ、日本左衛門騒動記の解読を始めよう。量的には1ヶ月ほど掛かりそうである。

  遠州見附宿日本左衛門騒動記
強盗、浜崎庄兵衛出姓、異名日本左衛門と言う、並び由来書の事
そもそも慶長以来より、御代々、政事素直にして、賞罰正しくまします故、四海浪静かに、民を豊かに治めりける。百姓は田畑を作り、これ天道明らかにして、五穀もおのずから実り、誠に閉ざゝぬ御代と申す事、偏えに君の御仁徳、申すも中々愚かなり。

然るに、寛保(1741~1744)の末、延享三丙寅(1746)の秋、伊豆・駿河・遠江・三河・尾張・美濃・伊勢・近江、この八ヶ国の内に、押入強盗、徘徊して、往来の旅人などを悩まし、あるいは民、町家へ大勢押し込み、金銀財宝をことごとく奪取、その上、人をも害し、その乱暴、無礼に耐え難く、誠に熊坂長範か、石川五右衛門にも劣らぬ悪党なり。この盗人の頭と申すは、浜嶋庄兵衛と言う者なり。
※ 熊坂長範(くまさかちょうはん)- 平安末期の伝説的盗賊。奥州へ下る金売吉次を襲おうとして、美濃国赤坂の宿場で牛若丸に討たれたという。

この手下の者ども、凡そ四、五十人も御座候。この庄兵衛が住居せし所は、二俣・見附・池田・袋井へ、通路宜しき所なり。さてまた、北の方に、川口の渡し舟有り。これより三州鳳来寺への近道あり。さてまたその所を出立致し、信州何村と言う所へ罷り越し、暫く逗留いたしける。この村は鍬柄など、荷鞍を細工致す所なり。ここは殊の外、辺鄙(へんぴ)なる村ゆえ、地頭役人衆、かつて参らず、浪人者住居よき所なるに依って、悪党どもを集め、昼夜博打を職とし居たりける。
※ 鍬柄(くわがら)- 鍬の手で握る部分。え。とって。
※ 荷鞍(にぐら)- 荷馬の背に置く鞍。荷をつけるための鞍。


さてまた、その後、遠州芝本村へ立ち帰り、手下の者どもを呼び集め、近江富貴なる家へ押し込み申すべきと、手下の者どもに言い合わせ、その節の出で立ち、着類と申すは、皆々黒半天にかぶと頭巾、提灯てんでに持ち、その家へ押し込み、金銀を奪取、百姓、町人に至るまで、夜も寝られず大難儀致し、これに依り、思案ある人、村々の人別帳面を以って、ことごとく改め候えば、うろんなる者ども、宿を失い、是非なく芝本村を立ちのき申し候。
※ 着類(きるい)- 身にまとう物。衣類。
※ かぶと頭巾 - 江戸時代の火事装束の一つで、兜形の頭巾。
※ うろん(胡乱)- 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。
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