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事実証談 神霊部(下) 93~95 秋葉山開帳、八十万神

(城北公園のフトツバタゴ)

静岡の駿河古文書会に出席。今年も、城北公園のヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)の花満開。陽気の良くなった樹下で、まるで桜のお花見のように、たくさんの人が円坐を作って、お昼のお弁当を静かに開いていた。

事実証談の解読を続ける。

第93話
              左、竹之内の同例、異霊部末に有り。
○豊田郡竹之内村、定福寺という寺に隠居して有りける慶門和尚という僧、寛政十年(1798)、秋葉山開帳のとき、夜燈をたてまつらんとて、同村寺田勘右衛門の墓所に建てし燈籠を乞いけるを、穢れし燈籠なりとて断りければ、かの僧の言いけるは、神も仏も異事あらず。清濁は心に有りなど言いて、かの燈籠を持ち行きて神燈に用いければ、その夜、たちまちに焼失けりとなん。
※ 定福寺 - 現在の磐田市向笠竹之内だが、定福寺は廃寺となり、墓石等は近くの新豊院に移されているという。

さて後、勘右衛門、かの僧に会いて、その事を言いければ、黙然として答えなかりしと、則ち勘右衛門の物語なり。また近き辺りなる村々にても、開帳中、夜燈を奉らんとて、一村限りに一燈を建て、順番に灯しけるに、死穢不浄をはゞからず燈して、たちまち燈籠焼失しとなん。その余(ほか)常夜燈にも、不浄によりてかゝる事あるは常の事なり。


第94話
○周智郡天宮村、野口藤蔵という者、秋葉山開帳によりて、接待茶を施さむとて、隣家、萬屋孫右衛門方にて布切れを求め、茶袋として接待茶を出したりけるが、立ち寄る者一人もなきゆえ、怪しみ居りたりしに、その日の八つ時頃、かの孫右衛門来たりて、昨日求められし布は、ある寺より買い取りし故、接待の茶袋には穢れあらむ事計りがたければ、取り替えてまいらせんと言いける故、
※ 茶袋(ちゃぶくろ)- 葉茶を入れて,煎じるのに用いる布袋。

さてこそと思い、茶釜などを洗い清め、茶袋を取り換えたりしかば、未だ茶も出ざりしに、往来の旅人立ち寄りて呑みしと、すなわち藤蔵の物語りなり。(天宮村は東海道掛川駅より秋葉山へ、四十八瀬越しの道筋にて、森町と続きたる町並みの所ゆえ、接待茶をば出せしなり)



(御前崎市門屋、高松権現)

第95話
○城東郡門屋村、高松権現神主、中山豊後守の妻、ある夜、俄かに積痛に苦しみ、温石を乞いける故、次の間に寝て有りし下女どもを呼び起せども、答なき故、主起き出でて見れども、寝所にあらざりければ、自ら台所に出て、囲炉裏にて温めんとするに、火の消えたりければ、土間なる竃(かまど)を見るに、それも火の消えたりしが、物影に光の有りける故、窺い見れば、置きし莚に火の付いて、既に燃え上らんとしければ、驚き打ち消したる。
※ 積痛(しゃくつう)- 癪痛。「癪」は胸や腹のあたりに起こる激痛の総称。さしこみ。
※ 温石(おんじゃく)- 焼いた石を綿などで包んだもの。冬,体を暖めるのに使った。焼き石。


その騒ぎに、温石の事は捨て置きしが、火を鎮めて後に、妻の病を尋ぬるに、その程に、はや快くなりし故、さてはかゝる知らせにて、妻の悩みし物ならんと思いけれども、いずれの神の御恵みなりとも知られねば、八十万の神を惣祭しとなん。これは文化元年(1804)冬の事なりしを、その日、味噌豆を煮るとて、常よりも火焚きしこと多かりし故、その火のあやまりて、かゝる事ありしにやといへり。

※ 八十万(やそよろづ)- 非常に数の多いこと。「八百万」と同じ。
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