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百姓が名主を訴えた その2(中) - 古文書に親しむ

(カニバサボテンの花が咲く)

(昨日のつづき)
一 並木西ヶ谷、見取り畑の儀、郷地を私所持の場所と唱い、年々米壱斗ずつ取り来たり、村方へは差し出さざるなど申し立て候趣(百姓側の訴え)、この段、沼奥並木西ヶ谷、見取り畑の儀、元禄四年、御水帳にも弐拾壱歩にて、名請けは又左衛門に候えども、永久私先祖と覚えの所持畑に相違御座なく候の趣(名主側の反論)
 右、御請け申し上げ奉り候
※ 見取(みとり)- 江戸時代、やせた土地や開発後間もない新田などで収穫が不安定な場合、石高をつけずに、坪刈りをして納米高を決めたこと。
※ 郷地 - 村有地のようなものか。
※ 名請(なうけ)- 江戸時代、土地の所持者または耕作者として検地帳に登録されること。


元禄四年、御改めの節、善右衛門、見取り請けの儀は、諸所、五郎左衛門と名請けこれ有り候えども、右、又左衛門の名請けなど、心得がたき儀に付、申し争いの地所より下に、当村又左衛門の田地の地先、古畑五六荷かけ程、これ有り候、私ども心得には、右弐拾壱歩の儀は、多分、この古畑と相見え、相手方より申し上げ候には、不慥かなる書付など持ち出し、証拠がましき儀、申し立て候えども、この趣、書き上げ候えども、先祖より善右衛門、自分控えの持ち地に御座候わば、開発人より差し出し候証文に准(なぞ)らえ、見取り御年貢、毎年取り立て候はずはこれ無き儀、如何様に申し争い候ても、事相分らず候義に付、開発人、南沼上村甚左衛門儀、御呼び出し遊ばされ、御尋ね候わば、事明白に相分り申すべくと存じ奉り候に付、何とぞ右甚左衛門、御吟味成し下され置き候様、願い上げ奉り候(百姓側の反論)

一 名主勤め中、金三両ずつ、年々村方へ出金致し来たり候処、私ども両人は差し出さず、如何の取計い仕り候様申し立て候趣、この段、当村出作高の儀、二十五、六ヶ年までは、百弐拾石余もこれ有り候処、丹誠を尽し、当時七拾六石余に相成り候の趣(名主側の反論)
 右、御請け申し上げ奉り候
※ 出作(でさく)- 近世において、百姓が他村・他領に田地をもち、その村へ出かけて耕作すること。
※ 丹誠(たんせい)- 飾りけや偽りのない心。まごころ。誠意。丹心。赤心。


相手、善右衛門申し立て候、越石の儀は相違なく御座候えども、右、越石、村方へ相戻し候は、去る拾壱、弐ヶ年以前、米穀高直の時節を相除き、その後より当村四、五ヶ年、急に相減じ申す処、高壱石に付、米弐升ずつ取り来たり候とは申し上げ候えども、全て弐升には相定めず、かつまた名主給米の内、骨折りとして、差し加え置き候なども申し立て候えども、この儀は小前一統、相心得がたし、名主給米の儀は、古来先々の通り定り居り候処、当時差し加えの儀相分らず、甚だ以って不審なる処に存じ奉り候(百姓側の反論)
※ 越石(こしこく)- 江戸時代、知行割りの際に一村の村高では不足が生じたとき、隣村の村高から補う不足分のこと。
※ 給米(きゅうまい)- 給料として支給される米。江戸時代には、家臣団のうち小身者は、幕府、領主の米蔵から米を支給された。また、村役人等も役手当てとして米を受け取ることがあった。
(明日へつづく)
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