goo

六郷筋御成りの節、勤め方(2) - 駿河古文書会

(JR山陰線豊岡駅構内-先週土曜日)

金曜日の続きである。江戸城から六郷まで、順路を抜き出してみると次の通りになる。

紅葉山下(御成り)- 坂下門 - 虎御門 -(浜御庭 -)飯倉町 - 品川(同勢所)- 浜川(御小休)- 鈴ヶ森 - 大森(中ノ和中散、御賦所、待合)- 六郷(御小休、御賦所)- 玉川

この順路を往復した訳だが、道中警備が役割である御目付は、どういうわけか、右往左往するばかりで、本隊になかなか付き従うわけにはいかない。どういう意図で動いているのか、理解が難しい部分もあるけれども、以下へ読み下して示してみる。

一 御小休より御早乗(はやのり)御乗出し相済む。諸向乗出し、直ちに御鳥見罷り越し、御賦所へ案内致し候由、申し聞く。御小休へ残り候向き、自分引き候て、大森中之和中散、御賦所へ参るべくと、弐拾町ばかりも参り候処、途中に又兵衛、馬を留め居られ申し聞けられ候は、馬つれ候て乗り兼ね候間、自分馬はもはや浜川御小休まで引上げ申すべくと存じられ候に付、馬を呼び上げ申さるべく候間、御賦所より自分儀、六郷へ罷り越し、御早乗之方、相心得候様、申し聞けられ候に付、何れにも御賦所まで参り居り候様、申し聞けられ候に付、その心得にて和中散へ相越す。
※ 諸向(しょむき)-どちらへも向くこと。あちらにもこちらにも向かうこと。
※ 大森中之和中散 - 旧東海道の品川宿と川崎宿の間の大森に、江戸時代中頃に三軒の和中散薬店が開業した。三家ともに東海道添いで江戸に近いことから、薬業はもとより立場茶屋としても盛業であった。忠治郎家、久三郎家は共に将軍徳川吉宗の鷹狩りの休息所にもなり、御成門を構える大家で、なかでも、久三郎家では広大な庭に梅を多く植え、戦前まで梅屋敷として有名であった。
※ 御賦所-「賦」は配るという意味で、食事の意味はないが、ここでは食事を配って食する場所と考えられる。したがって、「御賦」は配られた食事のことであろう。


御賦(た)べ仕廻(しまい)候頃、又兵衛歩行にて参られ、申し聞けられ候は、只今途中にて御馬乗に逢い申され候間、又兵衛馬を御馬乗に乗り申し候。浜川へ相返され、右御馬乗、自分馬を直ちに乗り切り候て参り候積り、申し談じられ候間、その心得にて、いよいよ御早乗の方、心得申すべき旨、申し聞けられ候間、六郷へ参り候ての勤方、承り合い置く。

程なく諸向御賦も相済み候旨、御徒目付申し聞け候に付、直ちに又兵衛、引下がられ候やと申し談じ候処、自分馬参り候事も先ず計り難きに付、自分引き候て御小休の方へ下り申すべき旨、もっとも途中にて馬に逢い候わば、直ちに乗り戻し申すべき段、又兵衛は先ず和中散にて、待ち合いて居り候て、自分義返り申さず候わば、又兵衛、御間に合い兼ね候までも、歩行にて六郷へ参るべく候由にて、御賦所引出で、拾町程も引下がり候頃、途中にて自分馬に御馬乗、乗り候て罷り越し候間、これより自分も乗り代り、御早乗の方へ参り候段、申し達す。

直ちに乗り、惣御供は御徒目付計りにて引下る。その節、御馬乗申し聞け候は、自分馬未だ御小休まで引上げこれ無く候に付、品川同勢場まで参り候に付、手間取り候旨、申し聞き候。それより六郷の方へ乗り返し、段々参り候処、中の和中散に又兵衛控え居られ候に付、馬参り候間、直ちに六郷へ参り候旨、申し達す。

かれこれ手間取り候事、もはや六郷へ御乗り返しにて、途中にて、御前にて御行き違い申し候わば、いかが致すべきやと承り候処、左候わば下馬致し、馬を牽き居り候事ゆえ、平伏は相成りまじく候間、居敷き申さず、御時宜(おじぎ)仕るべき旨、もっとも左候わば御支配方御側衆、乗々通り候跡より、直ちに乗り返し、御早乗御供仕り、六郷まで参り候に及ばざる旨、申し聞けられ候。何れにも差し急ぎ参り候様、申し聞けられ候。
(続く)
※ 居敷(いしく)- かしこまった姿勢ですわる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )