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井の中から見る世界

(裏の畑のフキノトウが顔を出した)

昨日、かつて関与していたお茶屋さんにお茶の注文に出掛けた。一つは季節だから「べにふうき」を買った。いま一つは、お袋の一周忌の粗供養として配るお茶を注文した。久し振りに茶業の様子を聞いた。関東地区のお店で、贈答品として、お茶が苦戦しているという話を聞く。

退職して1年3ヶ月ほど経つけれども、まだ一度も会社に足を向けていない。気にならないと言ったら嘘になるが、先輩面して顔を出すような厚顔さも趣味もない。いつまでも会社から卒業できない会社人間を馬鹿にしていた手前もある。幸い毎日が忙しくて会社のことを思い出すこともほとんどなかった。

在職中と退職後では、ものの見方が大きく変わったと、お茶屋さんに話していた。在職時は、良し悪しは別にして、茶業界という井の中から世界を見ていた。茶業界にプラスになることは善であり、マイナスになることは悪であった。我が社の得点を喜び、ライバル会社の失点も喜んだ。お客様の好評に歓喜し、悪評に恐怖した。

退職してみれば、それらすべては世の中の一事象であっても、一喜一憂するようなことでは全くなかった。お茶が売れなくても、代わりにミネラルウォーターが売れれば、消費者の喉の渇きに影響はあるわけではなかった。健康のためにお茶を飲まなくても、健康飲料やサプリメントが世の中にはごまんとあった。早い話、何も気に病むものがなくなった。

井から出てみれば、地平線まで広がる広い空があった。しかし、それはあまりに茫漠としており、かえって不安を呼ぶ。それで、井の中から出られない人や別の井戸に入り込んでしまう人も多い。自分の場合、一年経って、井にはもう入らないけれども、海では広くてとらえどころがないから、讃岐に点在するような溜め池くらいなら入っても良いだろうかと考えている。

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ムサシの散歩道でのゴミ拾いは、始めてから半月ほど経つ。始める前から比べるとずいぶんきれいになったと思う。ムサシが口にする危険のある煙草の吸殻もほとんど目立たなくなった。ゴミを捨てないようにとキャンペーンを張るよりも、拾う人を増やすキャンペーンの方が効果的かもしれない。

例えば大井川の土手は毎日10頭以上の犬が散歩している。最近は糞はほとんど見ないから、糞を取る何らかの用意はしているだろう。拾ったゴミを入れる袋を持つくらいは容易い。ほんの2、3人の飼主が拾おうと心掛ければ、落ちているゴミはすぐに無くなる。きれいな道にはゴミはなかなか捨てられないものである。ゴミ一つ落ちていない散歩道は犬も人も気持よく歩ける。かつて世界に誇れた美しい日本は、そんな一歩から取り戻すことが出来ると思う。

ブログでも書いたが、お遍路の時、捨てられたジェル状飲み物の容器を、自分の目の前で拾って、自分の自転車の荷かごに入れた男子高校生がいて、日本の若者も捨てたものではないと思った。自分のゴミ拾いも、あの高校生に触発されたものである。
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