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第17番瑠璃山光泰寺 - 駿河百地蔵巡り 4回目

(第17番 瑠璃山光泰寺)

高草山の南麓に沿って、西へ歩いて岡部までが、第4回目の最後のコースである。高草山の東端の登り口の休憩舎で、コンビニで仕入れたおにぎりの昼食を摂り、午後をスタートする。

まず立寄ったのが関方の長福寺である。ネットで調べると、長福寺の「いぼ(疣)地蔵」は有名らしい。自分には取りたい疣(いぼ)も無いけれども、調べていくと、いぼ地蔵と呼ばれるお地蔵さんは意外と多い。昔は日本人に疣が多かったのだろうか。それほど深刻なものではないけれども、日々気になるものである。


(長福寺のいぼ地蔵)

長福寺の境内に入った左に、小さなお堂があった。案内板によると、このお地蔵さんは元は裏山の山頂に安置されていたが、田中城の殿様が関方に差し掛ると何度か馬が暴れて落馬されるという事故があった。易者から、お地蔵さんを読経の聞こえるところに移すようにいわれ、現在地に移した。お顔に疣が治った跡があるといわれ、いぼ地蔵の名が付いた。近寄って拝見したが風化していて発見できなかった。台座の周りに敷き詰められた丸石(経文石)を早朝にお借りして疣を撫ぜると取れるという。






(十輪寺の童地蔵)

岡部町に入り、三輪の十輪寺に寄った。十輪寺の御本尊は子安地蔵菩薩である。境内には、何体もの童(わらべ)地蔵が置かれている。藤枝市在住の石彫家、杉村孝氏の作品で、素材の石を生かした石彫で、童地蔵の石像というと、可愛らしい漫画チックな石像を多く見かけるが、杉村孝氏の作品はそれらの石像とは一線を画している。素朴さ、和み、温かみのある童地蔵は、参拝者の心に訴えるものがある。

本日の駿河百地蔵巡りの最後に、岡部町内谷の第17番瑠璃山光泰寺に参った。大きなお寺で境内も横へ広い。ここのお地蔵さんは「穴地蔵」と呼ばれている。「駿河一国百地蔵尊第十七番」の板は本堂に張られていた。


(光泰寺の穴地蔵)

元は十楽院というお寺があったが、荒廃していた。慶長十二年(1607)に再興され、光泰寺となった。村人の願いで、ご本尊には地蔵尊が選ばれた。境内西、薬師堂背後の斜面に小さな洞窟があり、洞窟には三体の石像が安置されている。奥に釈迦如来が置かれ、手前左が役行者、右が地蔵尊である。百地蔵の「穴地蔵」はこの地蔵尊である。洞窟の三体の石像ともに、十楽院の時代のものであろう。

光泰寺を最後にして、岡部町からバスで藤枝駅まで出て帰った。次回は岡部より朝比奈川を遡る百地蔵巡りとなる。第4回目のこの日は、夕方まで薄曇りで、最もしのぎ易い天候であった。歩数37,019歩、歩行距離は23~25キロほどになっただろうか。
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