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子持坂地蔵堂 - 駿河百地蔵巡り 5回目

(子持坂地蔵堂)

10月9日の第5回目の駿河百地蔵巡りの記録である。

朝、前回と同じ時間に駿河百地蔵巡りへ出掛ける。昨日(10/8)までの連休は名古屋のかなくん、掛川のまーくん、あっくんが来ていて、大暴れで、昨日皆んな帰り、我が家はようやく静けさを取り戻した。前回から6日ぶりである。この一週間でにわかに秋らしくなってきた。朝の風は長袖でも寒いくらいである。

歩き始めは岡部の中心部で、目の前に五智如来像がある。五智如来像を中心にすっかり公園化されて、あたりは見違えるようである。本日の予定は朝比奈川を遡って、第19番笹川地蔵堂と第18番芙蓉庵を巡る。巡る地蔵尊は少ないが、歩く距離は前回以上にありそうである。


(子持坂地蔵堂の子安地蔵)

最初に子持坂地蔵堂に立寄る。ちょうど地元のおばあさんが3人来て、目の前で地蔵堂の南京錠を開けようと評定するうちに開いた。自分に気付いて、中に入ってお参りするように勧める。靴を脱いで上がり、賽銭を上げ手を合わせた。8畳ほどの畳の間に祭壇があった。何とも不思議な子安地蔵であった。半跏の地蔵さんが抱いている子供は小さい木造の立像で、しかも地蔵の手が子供を抱く形になっていない。

背後の板壁に享保十巳年の表示が見えた。江戸時代で今から200年以上前のものですねえと話す。享保十年は1725年だから、実際には300年近く前の江戸時代中期である。何度も火災に遭っているようだからと一人のおばあちゃんが話す。だから子安地蔵がちぐはぐなのだろうか。

毎日開けているのかと聞くと、今日はお供えした花が枯れてしまっただろうと、たまたま見に来た。普通はお祭りなど、何か行事があるときしか開けることはないと話す。

金谷から来て、歩いて地蔵めぐりをしている。今日はこの奥の地蔵に2ヶ所参る予定である。リタイアしてから金の掛からない道楽、などと問わず語りに話した。龍勢の話を出すと、二年に1回で今年は今月の20日にあるからぜひ見に来るようにと勧められた。

帰りに案内板を写真に撮った。帰ってから読んでみた。要約すると、江戸時代中期、村に高僧が立寄った。高僧は村に流行する子供の疫病を憂い、一体の子安地蔵を刻んで、小さなお堂を建てて祀った。そして、子供の健やかな成長を祈念されたという。


(子持坂のかし)

同じ子持坂に「子持坂のかし」という巨木がある。浅間神社に立寄ると、「子持坂のかし」は立っていたけれども、緑の部分が一切なかった。命が尽きたかと思い、脇で草刈をするおばあさんに枯れてしまったねぇと話しかけた。一年ほど前だったか、台風で緑で残っていた幹の上部がぽっきり折れてしまった。寿命だろうけれども、幸いに神社の方へは落ちないで、広場に落ちたので被害が無くて良かったと話す。(つづく)
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