平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
元寇時沈没の軍船を発掘
夜のNHK、「クローズアップ現代」で、「海底で発見!幻の軍船~730年前 元寇の謎~」という番組を視た。
この10月、長崎県の伊万里湾で、鷹島の島陰、陸地近くの23メートルの海底で、元寇の時、日本に来襲した軍船の一艘が発掘されたというニュースが流れたらしいが、見逃していた。水中考古学上、最大の発見である。
730年前、元寇2回目の弘安の役では、鷹島沖に元船4400艘が集結したという。しかし台風と思われる暴風雨で全滅したと伝わっている。いわゆる神風である。今まで舟の破片が魚網に架かったようなことはあったけれども、それだけの数の船が沈んでいながら、その船体が発見されたのは初めてである。
海底資源を探査する高性能な音波探査技術を使って、伊万里湾全域を探査したところ、11ヶ所、船体が埋っていそうな地点が見つかり、その最も有望な場所を、今回の海中発掘調査した。ほぼピンポイントの発掘である。船体は1メートルに及ぶ泥に埋っており、少し動くと泥が立ち上がって視界を塞ぐ状態で、発掘は困難を極めたが、やがて船体の用材が姿を現した。元寇はその規模の大きさの割に残された資料が乏しい。まだ発掘が終ったわけではないが、強大な勢力を誇った元軍の実態解明が期待される。
番組では、船体底部の背骨に当る竜骨(キール)や船腹の外板などが映し出された。爆薬を詰めて爆発させる「てつほう」、硯、器、印、レンガなどの遺物も同時に発掘され、元船に間違いないことが判った。キールから推測して、CG復元された舟は全長20メートルに及ぶ大きな船であった。舟板の隙間を埋めたしっくいなども残っている。
レンガは火を使う台所を囲ったことが推測され、船中には多くの兵士が乗っており、その食事を作っていた生活感もうかがえる。たくさんの兵士を収容するための柵の存在も、切り揃えられた木材から推定できる。また、レンガは南宋で焼かれたもので、すでに元は当時南宋を勢力下に置いていたことがうかがえ、元のやり方では、征服した国から兵を徴用して、最前線に送る方式を取っていたから、兵は後世に描かれた絵巻物に見るような、モンゴルの風俗の兵ではなくて、南宋の兵であったかもしれない。
まだ一部分が泥の中から現れただけで、その位のことが判る。これから全体の発掘を行ない、引き上げて保存展示といった作業になるが、海中にあった材木は、引き上げると中の塩が結晶になって、材木そのものを壊してしまう。時間を掛けて塩抜きしてから保存展示になる。
そこまでで、やっと一艘分の発掘が済み、まだ10ヶ所の調査地点が残る。さらには4000艘の元の沈没船があるはずで、長い長い研究が続けられるのであろう。
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