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太田弘子氏経済講演会(前)

(外で元気なシクラメン)

かつては新春というと、銀行等が開催する新春経済講演会を幾つも聞いて、今年の経済はいったいどうなるのか、自分なりに考えを持っておこうと努力した。評論家の今年の経済はこうなるという話で、当った記憶はまずないのであるが、指針には出来た。

一線を退いてから、早くも三年余、この間に急速に経済とか経営とかいう話題に興味が行かなくなった。今日も片付けをしていて、何冊か経済とか経営にまつわる実用書を処分するべく、荷にまとめていた。

そんな中で、地元銀行の新春講演会で太田弘子氏が来るというので、昨日の午後、靜岡まで出かけた。太田氏は安倍内閣で内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)を務めた。現在、政策研究大学院大学副学長。

日本は長く続く停滞から、脱却する出口を見つけられないでいる。どこで道を間違えてしまったのだろうと、歴史を振り返る。1990年代の前半、1989年ベルリンの壁崩壊、1990年東西ドイツ統一、1991年ソビエト連邦崩壊、1992年ユーロの導入、と続き、アジアでも1991年インドが本格的経済改革、1992年中国小平南巡講和(改革開放路線の加速)とこの何年かに世界経済の大きな動きがあった。

冷戦体制が崩れ、多くの新興国が市場経済にどっと入ってきた。日本の戦後の経済発展は資金・人材・技術ともに国内のたゆまない努力で何十年も掛けて積み上げてきたものであったが、新興国はそんな面倒なことは考えず、資金・人材・技術ともに、海外からどんどん受け入れて、急速に発展して行った。人・物・金がどんどん国境を越えて、世界は否応無くグローバル化していった。

そういう世界の潮流の中で、日本はバブルに浮かれ、1992年バブルが崩壊すると、今度は不良債権処理に手間取って、世界の流れにひとり乗り遅れてしまった。なまじ資金・人材・技術を自国でまかなえるために、急速にグローバル化する世界経済に、政界も経済界もそれほど深刻に考えなかった。一方で日本社会では人口の高齢化が急速に進んでいた。年金・医療など福祉の問題が国庫財政を急速に苦しくしていった。

その舵を強力に切ろうとしたのが小泉内閣で、安倍内閣もその政策を引き継いだ。しかし、志し半ばで内閣は瓦解した。社会の各所に発生した格差の問題が、小泉内閣の取ってきたグローバル化の政策によるものとして、与党自民党内部からも糾弾された。

このようにして長い停滞に出口が見えない状況が続いている。このまま行けば、近い将来、日本の財政は破綻しかねない状況である。その打破のためには、まずはグローバル経済に生きる覚悟が必要である。

まずはFTA(自由貿易協定)やTPP(環太平洋連携協定)などを積極的に進める。一方痛手を受ける農業には、大規模化して競争力を得るように、徹底してテコ入れすることが必要である。幸いにも日本の農産品の品質の良さは飛び抜けている。現在の農業はいくら保護しても、このままでは老齢化が進んで継続できなくなるのは目に見えている。早急に若い人が参入できるように、規模拡大、法人化をはかっていくべきである。(つづく)
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