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国宝、久能山東照宮、初詣

(久能山東照宮本殿)

25日目、最後のかさぶたが取れた。我が帯状疱疹も最終ステージに入った。医者に言わせれば治癒したというかもしれない。とにかく痛みは無くなった。痒みを感じる時もあるが、わずかである。後は、右下腹部に漂う違和感と、若干の痺れである。25日間にわたって書き続けた、我が帯状疱疹の一部始終も、そろそろ終わりにしようかと思う。「かさぶた日録」と名付けて、この25日間はその命名の通りの日録となった。

ようやく表に出る気になって、10時過ぎから久能山東照宮に参拝した。初詣にも行かなかったから、久能山が初詣である。

久能山東照宮は、西方の諸藩に対する睨みを死後も利かせようと、家康の遺言で、その霊廟を日本平が駿河湾に落ち込む懸崖の地に祀ったものである。戦国の世なら山城を築く絶好の地となったであろう地形で、久能海岸から1159段のつづら折れの石段を登った上に鎮座している。

昨年の12月24日、久能山東照宮の本殿、石の間、拝殿の複合社殿が国宝に指定されたばかりである。全国に普及している「権現造り」の先駆けとなった建築である。今まで国宝でなかったのが不思議なほどである。

焼津から国道150号線に出て、そのまま150号線を進めば久能山にいたる。青空を背景に安倍川を渡る辺りから見える雪の富士はずいぶん大きく見える。南アルプスの白い峰も今日は輝いている。助手席にいたら写真を撮りたいところであったが、あいにくと運転中である。

やはり国宝になったばかりの久能山東照宮には参拝客が多かった。日当たりの良い石段は昨日と比べて風が無いだけ暖かく感じる。1159段の石段もやや息は切れたが、難なく登れた。腹部の痛みが無くなり、歩く度に響くこともなく、ありがたい。地味な一の門を抜けてさらに登る。振り返れば直下から水平線まで駿河湾が広がっている。冬の太陽にきらきら輝く先、左手には伊豆半島、右手には御前崎方面が、両手で駿河湾を囲っているように見える。


(久能山東照宮楼門)

楼門から先は拝観料が要る。日光の陽明門ほどではないが、派手な楼門には後水尾天皇御宸筆の「東照大権現」の勅額が掛かる。後水尾天皇といえば、始まった大河ドラマの江と秀忠の間に生れた姫が、後水尾天皇の中宮となっている。勅額がここに掛かるにはそんな背景もあったのだろう。

楼門を入った左手に五重塔跡が残っている。塔心礎を碑の代りに立てて、「五重塔旧跡」と刻まれていた。この塔は明治六年、神仏分離で取り壊されたものといい、明治のはじめの暴挙の痕をここにも見ることが出来る。権現造の五重塔を見てみたかったと思う。

唐門を潜った先にある、拝殿-石の間-本殿と一体になった建物が、今回国宝に指定された。建物、彫刻など総漆塗りで極彩色の、桃山時代のきらびやかな雰囲気を取り入れた建物である。女房は国宝指定の記念番組で、近年修復作業を行なった漆塗りの職人集団が建物を漆で塗りこめることが、如何に大変だったか話していたという。小さなものと違って漆面に次々にひびが入ってしまうため大変に苦労したという。


(照り輝く久能山東照宮)

苦労話はとにかくとして、補修間もないこともあって、これこそ国宝とばかりに極彩色に光り輝いていた。日光東照宮より一回りもニ回りも小さいだけに、一層、貴重な宝物のように見える。

今年の初詣は、「国宝」「江」「帯状疱疹治癒」が重なって、記憶に残る初詣になった。
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