goo

第5回古文書に親しむ「直江大言の事」 その3

(伊太のセイタカアワダチソウ、一株で見ると悪くない)

昨日に続いて「直江大言の事」の解読文、続きを載せる。

石田三成進み出て、直江氏申さるゝ處もっとも至極せり。さりながら諸侯の銭を称美ありしも、まったく金銀を誉むるにあらず。主君の下知にて鋳させられしものゆえ、軽んずべき用なし。軍用に利あらん事を賞美せし処なり。御邊(こと)の言葉は勇士の本意たれば、これまた咎(とが)むべきにあらずと。両方まったき挨拶しけるより、漸々(ようよう)その場も済みておのおの退散ある。

白けたその場は石田三成の発言で収まった。この納め方、自分が長年果してきた役割と手法によく似ている。組織の中にこんな役回りの人が必ず必要なのだろう。そんな三成が関ヶ原の西軍を統率するのは役割を間違えたとしか思えない。それはさて置き、三成は直江の無頼に自らにない物を感じ、手厚く扱い、二人は昵懇の仲となる。

時に三成、今日直江が振舞い、不(無)頼なるを感じ、天晴れ、彼がごとき勇士を語らえ、一方の将ともなせば、我も大望成就すべきと思い付きたり。何となし直江に親しみ、弁舌をもってその心を動かし見るに、直江元来智謀武略に達し、殊に信臣なれども高禄を領し、大身なれば何不足なしといえども、信臣なるがゆえ、少知小輩の役人に出合っても、頭(かしら)を上げる事あたわず。これによって、兼継いさゝか無念の気あり。

三成その気を察し、直江に心を喜ばしめんため、何にても出合いにては、随分睦ましく挨拶して、決して輩を卑しめず。途中などにて行逢うときも、石田は直参にて五奉行の頭人、殊に太閤御気に入りのものなれば、権勢盛んにして、いかなる大名もこれを敬い礼をなして通らるゝに、直江が信臣の事なれば、いよいよ礼を厚くすべきはずなるに、三成は直江と見るより、あるいは下馬し、または参りものをたてさせ、入魂の体にもてなしける。直江も石田は天下の役人なりと思い随分尊敬しけるに、三成はなはだ懇情を通ずるによりて、返礼のため直江は石田が屋敷へ至りければ、三成大きに喜びて奥へ請じて様々もてなし、すこしも疎意なく会釈しけるにぞ。
※ 疎意 - 避けようとする気持ち。隔意。

直江痛み入りて、貴前様は天下の御役人、それがしは上杉の郎等なり。然るにかくのごとく御もてなしにあづかり候事、憚(はばか)りなきにあらず。近頃礼に迷い候なりと申しければ、三成笑つて、鼠も時を得れば虎の勢いを振るう。猛虎も用いる人なければ、兎のために恥しめらる。大身、直参、信臣と差別あれども、尊ぶべきは智謀度量なり。愚かなるものも時運によって高位に上り、智あるものも時を得ずして、人の下に徘徊する事、和漢ともに例(ためし)多し。
※ 貴前様 - きわめて高い敬意を表す。あなたさま。
※ 智謀 - 知恵を働かせたはかりごと。巧みな計略。
※ 度量 - 他人の言行をよく受けいれる、広くおおらかな心。
※ 徘徊 - あてもなく、うろうろと歩きまわること。

続きは来月の「古文書に親しむ」で読むことになるが、来月はお遍路で欠席になる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )