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「妙井渡」と「こはま」はどこ?

(庭のキンモクセイが咲いた)

(昨日の続き)
宗行卿や俊基朝臣の悲話もあって、中世の旅の記録では菊川宿を記しているものが多い。歌枕の「小夜の中山」を通って菊川宿へ至る道は、昔から大きく変ることは無かったようである。しかし、菊川宿から先、原を越えて大井川を渡る道は江戸時代の金谷宿、島田宿と続く東海道とは別のコースを通っていた。

先に紹介した「海道記」では、菊川宿の先の記述は、

妙井渡という処の野原を過ぐ。仲呂の節に當りて小暑の気やうやう催せども、いまだ納涼の心(頃)ならねば、手には結ばず

   夏深き 清水なりせば 駒停めて しばし涼まん 日は暮れなまし

幡豆蔵(はつくら-初倉)宿を過ぎて、大堰(井)川を渡る。この河は中に渡り多く、また水さかし。

※ 妙井渡 - レジメには「妙水の渡り」とあったが、海道記のコピーをよく見ると、「妙井渡」となっていた。読み方も不明との話だったが、「妙井渡」ならば、「井渡」は井戸と読むのではないか。「妙井渡」は「妙なる井戸」で地名というより、井戸(湧き水)の名前ではないかと思う。
※ 仲呂 - 陰暦の4月の異称。
※ 手に結ぶ - 手のひらを組み合わせて水をすくう。


もう一つ、「東関紀行」によれば、菊川宿の先は、

菊川を渡りて、いくほども無く一むらの里あり。こはまとぞいふなる。この里の東のはてに、すこしうちのぼるやうなる奥より大井川を見渡したれば、遥々とひろき河原の中に、一すぢならず流れわかれたる川瀬ども、とかく入りちがいたる様にて、すながしといふ物をしたるに似たり。なかなか渡りて見むよりも、よそめおもしろくおぼゆれば、かの紅葉みだれてながれけむ龍田川ならねども、しばしやすらはる。

   日かずふる 旅のあわれは 大井川 わたらぬ水も 深き色かな


※ すながし - 金銀の砂子を散らして水の流れを表した文様。
※ こはま -「こはま」は「ニはま」かもしれない。あるいは、牧の原の地名でもわかるように、馬を育てる牧場があった。だから「こはま」は「こまば(駒場)」かもしれない。


「海道記」に出てくる「妙井渡」および、「東関紀行」にいう「こはま」がどこを差すのか、今なお判っていない。ちょっとしたミステリーである。講師は台地上に、字名などでそれに近い名前が残っていないかと問いかけた。他にも、街道、海道、会堂、新宿、今宿などの名前が残っておれば教えて欲しいと話した。

「妙井渡」のヒントは、
① 菊川宿から初倉方向に向かう道。
② 清水が湧き出している。
③ 「妙井渡」近くの「野原を過ぐ」とあるが、野原はおそらく牧の原で、そこまで登ると湧き水はないと思われるから、牧の原に登りきる手前あたりに「妙井渡」はあったのであろう。

「こはま」のヒントは、
① 菊川宿からさほど遠くない里である。
② 「こはま」の東のはてで、少し登ったところから大井川が広く見渡せた。

会社で島田市菊川出身のY氏とそんな謎について話していたところ、島田市菊川から色尾道と呼ばれる古い道があって、登ったところに湧き水がある。子供のころよく遊んだところだが、周囲から土器なども出たという。この色尾道の「色尾」は初倉驛(うまや)のあったところである。

明後日、天気が良ければ自分の足で探索して見たいと思い、Y氏から色々情報を得た。
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