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「大往生の島」を読了

(佐野眞一著「大往生の島」)

先日、予約して借りた本の一冊、「大往生の島」を読み終えた。平成9年の時点で全人口に占める65歳以上の人口、いわゆる高齢化率71%、ダントツの日本一であった、山口県の周防大島に金魚の糞のようにくっ付いている沖家室(おきかむろ)島に取材したノンフクションである。

沖家室は段々畑を作っても、昔から多くの人口を養うことは難しかった。若者たちは瀬戸内海から玄界灘、朝鮮、中国まで、漁業、大工、瓦製造などの技術をもって移り、各地で活躍していた。明治になると、たくさんの人がハワイへ出稼ぎ移民した。つまりは沖家室島は昔から若い人は皆んな出稼ぎで出て行き、高齢化率の高いのは今始まったことではなかった。もう何百年も続く高齢化社会なのである。

これからどの国も経験したことのない急速な高齢化社会を迎える日本の、沖家室は一つのモデルである。沖家室のお年寄りたちが、皆な生き生きと生きている様は、我々の未来に大きな参考になると思う。

沖家室には若い人は居ない。介助の居るお年寄りをまだ元気なお年寄りが支えている。肉親ではなくて近所のお年寄りが支えている。お年寄りがお年寄りを支える巧みな仕組みが作られている。一人暮らしの老人が多いけれども、孤独死は一件もない。都会に出ている子供たちが一緒に住もうというけれど、部屋でテレビだけがお友達の生活に耐えられない。呼ばれて行ったお年よりはたちまちぼけて入院し亡くなったという。

沖家室ではお米以外は自給自足、皆んな死ぬまで働いている。寝たきり老人が少なく長寿の島である。

人間の肉体のあらゆる部分は使われなくなるとたちまち退化してしまう。それは筋肉のような部分だけではないと思う。脳も使わなくなればすぐにぼけてしまう。多分そうなのだろうと思う例を幾つも見ている。ボケないで長生きし、寿命が尽きたらぽっくり逝く、そんな理想の一生が沖家室にあったのである。だから「大往生の島」である。

これから迎える高齢化社会を乗り切るためには、元気な高齢者が介護を必要とする高齢者を助けていくということしかないのだろう。年金を貰っている人達だから、給料をたくさん出す必要はない。出来るだけたくさんの高齢者が自分が出来る部分を少しずつ引受けていく。元気なお年寄りは生きがいを見つけていよいよ元気で医者要らずになるであろう。介護の必要なお年寄りも身内の世話を受けるのではなくて他人の世話になる方がいいと思う。ボケてきても他人の方が事実を冷静に受け止めることが出来る。そんなことを考えさせられた。

ただ、この本の取材は10年前である。10年経った現在も同じ状態が維持できているのかどうか、すでに集落も消滅しているのかもしれない。その点が心配である。
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