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裏テーマは二宮尊徳(続き)

(二宮尊徳回村の銅像)

大日本報徳社の正門に刻まれていた道徳と経済という言葉は、道徳と経済の調和した社会づくりをめざすという報徳思想の重要な一端である。元々日本語の「経済」という言葉は、辞書を見れば、「経世済民」の略で、「世を治め民を救済すること」だというが、道徳を忘れた経済がどうなるかは、近年の数々の企業の偽装のニュースに接しておれば一目瞭然である。

この報徳思想は渋沢栄一、安田善次郎、松下幸之助、土光敏夫など日本を代表するたくさんの実業家に大きな影響を与えたという。


(掛川駅前の二宮金次郎銅像)

大日本報徳社のあと、掛川駅前に立寄った。駅前広場に二宮金次郎の銅像があることは知っていた。大日本報徳会と掛川経済懇話会の寄贈で昭和63年、新幹線掛川駅開業記念として、建立された。少年金次郎の顔が昔よりもずいぶん可愛いし、華奢なように思えた。また髪型が長い髪を後ろで一つに束ねただけであった。


(曽我小学校の二宮金次郎銅像)

愛野駅に行く途中、通り掛かりに掛川市立曽我小学校に二宮金次郎の銅像を見つけた。この銅像の特徴は背負う薪がずいぶん少ない。だからおそらく最近に作られたものだろうと思う。

自分の母校の小学校にも、二宮金次郎の像はあった。銅像だとほとんど戦争中に供出されてしまっているから、たぶん石像だったと思う。今も残っているのだろうか。昔は本を読みながら道を歩いても、車は通らないからせいぜい牛の糞を踏むぐらいか。そういえば、歩きながら本を読むと目が悪くなると言って、金次郎の絵に眼鏡を落書きした子が居たような。二宮金次郎の姿は実は今、街中で良く見かける姿である。ただ現代の金次郎は背にザック、手には携帯である。

夕日の中、愛野駅駅前広場に、二宮尊徳晩年に回村する姿を写した銅像を見た。案内板によると、

成人してからは、生活に苦しむ人々を貧窮から救うことに全力を注ぎ、破綻した家や農村、藩の再建に生涯を捧げました。その数六百余りに達しました。再建のため村々を見て回る(回村)時の姿がこの像です。至誠、勤労、分度、推譲の二宮尊徳の思想は、「報徳」の教えとしてこの地方はもとより全国にも脈々として受け継がれております。

二宮尊徳の功績は、結果的に江戸時代の封建制度を維持することになったと、戦後低い評価の時代もあったが、温暖化防止と省エネが大きなテーマとなっている現代、見直されなければならないと思う。
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