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身延・七面繋ぐ赤沢宿(前)

(山深い赤沢宿)

5月19日に、七面山登山基地の羽衣に行った時は、春木川の左岸を遡った。途中でもらった案内図で「赤沢宿」の記述をちらっと見たが、同じ左岸を帰りながら「赤沢宿」に関しては看板すらなかった。「重要伝統的建造物群保存地区」として、気になって地図を確認すると、赤沢宿に登る道は春木川の右岸に付いていた。

3日の日曜日、さつき展を見学後、山梨に向かう。試しに東名高速道路を富士川サービスエリアのスマートインターチェンジで降りてみる。身延に向かうには、清水で降りて国道52号線を行くより、10分から15分早くなることが確認できた。今後使えそうだ。

「赤沢宿」に登る前に、まずは腹ごしらえと、身延のドライブイン「ゆばの里」に入った。日蓮上人は身延山中で戒律を守る弟子たちの栄養源として、湯葉作りをすすめた。その後、身延で湯葉が作られていたが、その湯葉を身延の名物にしようというもくろみは、まだ10数年前のことだという。今では門前にお土産品として並んでいる。レストランで「ゆば丼」を頼んだ。中華丼のゆば版といったところか。これも一興というくらいのものであった。

「赤沢宿」の標識に導かれて、春木川の右岸の細い道を10分ほど登って行くと赤沢宿に入る。急な斜面を段々に刻んで家を建て、集落が階段状に広がっていた。

赤沢宿は明治の頃まで、日蓮宗の身延山久遠寺と山岳信仰で知られる七面山を結ぶ、身延往還の宿場としてにぎわっていた。身延山から七面山の参詣はかつては身延山久遠寺から奥の院に登り、そこから赤沢に降りて一泊し、翌日七面山に登るコースが一般的であった。だから赤沢宿は参拝者が必ず一泊する宿場であった。宿場以外に、周囲には木材資源が豊富で、杣人、木挽き、大工など多くの職人を出していた。


(赤沢宿大黒屋辺りの往還)

江戸時代に庶民に信仰と物見遊山の旅が広がり、最盛期の明治には旅館が9軒、夏の一時期は客を泊めきれず、周囲の民家にも宿泊させたという。その後、七面山登山口まで車道が出来て、急速に赤沢宿から客足が遠のくことになった。(後半に続く)
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