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たまおのページ

遊びと旅のページ。
他にも「ボヤキ、グチ、ネタミ、ソネミ、イヤミ」などなど(^O^)/

まるまるなせいかつこどもかいに

2011年07月16日 | Weblog
 7月 16日

 アタイの生活 子ども会 その2

 アタイが入ったころは、子ども会が活発に活動して
いましたねぇ。
 廃品回収、写生会、夏祭り、ソフトボール大会、バス旅行、
運動会、地域祭り などでした。

 23区内とはいいながら、まだまだ田舎で、町内会や自治会
(地域コミュニティ)が幅をきかせていました。
 町内会長や地元の実力者に お伺い をたてないと何も進ま
ないんですからね。

 同じ地域に子ども会がたくさんあったんですが、殆どの子ども会が
町内会の下部組織として活動していたようです。
 ところが、アタイが入った子ども会は単独で活動していました。
活動費の一部は町内会からの補助がありましたが、人は関連があり
ませんでしたね。
 毎年の入会金(新入会者から)、年会費、廃品回収などが主な
収入源でしたね。


 夏祭り、初めのころは子ども会主催でやっていたんですが、そのうち
地元の商店街(小さな商店会)からお誘いがあって、「お客様サービスと
して行うイベントに協力していただけませんか?」という話があって、
相乗りしました。費用は商店街が、人的な手伝いとして子ども会が協力。
 おなじみのスイカ割り、輪投げ、金魚すくい、焼きそば、綿あめ
などです。 それらの売り子やイベント参加者を整理(子どもを並ばせる)
などでしたね。

 アタイは綿あめ担当。いろんな行事でも綿あめをやりましたよ。
暑いんですよね。夏だしプロパンガスの綿あめ機だしね。
 汗だくで割り箸に綿をからませていきました。だいたい500本
ぐらいは作ったと思うなぁ。
 頭から足先まで 綿あめで白くなってベトベトでしたよ。

 ソフトボール大会は夏休みに開催されました。
 早朝練習ということで、小学4~6年生を小学校のグラウンドに
朝7時から集めて練習です。
 アタイ、しがないサラリーマンですから、出勤時間ギリギリまで指導
して、急いで会社に向かいました。他チームとの練習試合や、試合本番
直前には休みを取って指導でしたよ。

 ボールを持ったことが無い。って子もいたりするんですよ。
投げるのもままならないし。数人は野球をやっている子がいて、
その子たちにも手伝ってもらっていましたねぇ。
 キャッチボールができない。バットも持てない(持ち方が分からない)
ルールも知らない子がいるんですから。

 1~2週間かけて、なんとか試合になる程度には上達させるん
ですよね。
 試合はトーナメント形式で、3~4回戦ぐらいやるんですが、真夏の
炎天下ですから、いくら元気な子どもでも、昼過ぎにはグッタリです。
(お昼ごはんは親が手分けして作ってきてくれました)
 優勝した年も何度かあったんです。(そのときはメンバーの中に、
野球をやっている子が5~6人いました)

 子どもを指導するのは楽しい(だんだん上達するし、覚えが早いし)
んだけれど、親(特に母親)には 参りました。
 それこそルールを知らないし、TVで野球を観たこともないような
母親が「どうしてウチの子は出場できないんですか、真面目に練習に
参加しているのに。」って半泣きしながら監督のアタイに詰め寄るん
ですよ。
 
 答えは ヘタだから。 
 これだけなんですが、そうも言えません。
 そういう親は 子ども会の活動にも積極的に協力してくれているん
ですよ。

 つうことで、「○○君はまだ4年生だから、今年で最後の6年生を
優先的に出場させています。とっても努力して練習にも参加してくれ
ていますが、ここは一つご理解ください。」なんて誤魔化すんです。

 でも本人のほうが自分がヘタなのは知っているので、出場できない
ことについてはナットクしてくれるんですよね。
 この子は5年のときは代打で、6年のときには先発で使いました。

 試合が終わってから母親がやってきて、「ありがとうございました。
本人は試合に出れなくても監督が一所懸命に指導してくれていたから、
3年間がとっても楽しいソフトボール練習だったと言っていました。」
って言ってくれました。アタイも少しウルウルしましたよ。

 つづく
 
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まるまるなせいかつこどもかい

2011年07月15日 | Weblog
 7月 15日

 子ども会でのこと いち

 長く続けましたよ。子ども会。通算15年ですからねぇ。
地元の友人には25年って人もいますがね。
 こういうのって、一度入ってしまうと抜けるのがタイヘン
なんですよね。しがらみがあって。(自分のことだけを
考える人は難しくないんですが、他人のことも考慮して
しまうアタイなどは、抜けるのに苦労します。ここまで
やったんだから、もうカンベンしてよぉ。だもの)
 

 以前住んでいた集合住宅(マンションというほど広くは
ない)に引っ越してから1ヶ月ぐらいのとき。
 夕食を食べていたら玄関チャイムが ピンポォ~ン。
 誰だろう、こんな時間に 訪ねてくるような人は思いあたら
ないしなぁ? でした。

 んで、玄関ドアを開けると。
 友だちというほどではなくって、小学校で会えば挨拶する
程度の人と、全く知らない人が立っていました。

 「夜分にすみません。ちょっとお話があるのですが・・・」
 「どんなことでしょうか?」
 「ここではチョッと、近くの寿司屋で話をさせてください。」
 「いいですよ。」

 ということで、歩いて2分ぐらいの寿司屋へ。
 「話というのは 子ども会のお手伝いをお願いしたいんです。
男手が足らなくって、私を含めて数人しかいないんですよ。
それに、子ども会で毎月1回の廃品回収をしているんですが、
運転手がいないんです。たまおさんは運転免許をお持ちです
よね?」
 「ええ、持ってますよ。それじゃ廃品回収のトラックを運転
するだけでいいんですね?」
 「助かります。それだけでいいので、協力してください。」

 ってことで、子ども会の廃品回収だけを助けることになりました。
と思っていたら、何日後かに「子ども会 会員名簿」が配布された
ので、開いてみたら。 なっなんと アタイは副会長になって
いました。
 どうして廃品回収の運転手が副会長なんだろう???でしたね。

 そいで、アタイが子ども会に入ってから初めての廃品回収が
あって、たしかにアタイは運転手でした。(第一日曜に回収)
 道路脇に出してある新聞や段ボールを集めて(車に乗せて)
廃品回収業者に運ぶんです。
 一度には運びきれないので、3回ぐらいは往復しましたね。

 んで、その夜。アタイの歓迎会を含めて 子ども会の役員
懇親会があったんです。
 ビールで乾杯、お酒も程よく回ったころに、アタイを寿司屋に
連れて行った人(この人もその当時は副会長で、のちに会長に
なりました)がアタイに向かって「ヨカッタぁ、たまおさんが
副会長を引き受けてくれて、一時はどうしようかと思いましたよ。
やってくれる人が誰もいなかったから。」ってホッとした顔で
言うんですよね。

 アタイは心の中で『副会長じゃないだろ、運転手だけだよ』
って言ってました。あくまでも心の中でね。

 続けてその人が言いました。
 「なにかあるんだろうねぇ。副会長が次々と死んでしまったん
ですよ。○○さんは脳溢血、△△さんはガン、××さんは事故。
いやぁ~よかった。たまおさんが引き受けてくれて。地元じゃ
子ども会の副会長をやると死ぬ。っていわれていて、誰も引き
受けてくれなかったんですよ。」

 アタイ心の中で『なっなにぃ! そういうことかい。アタイは
引っ越してきたばかりで、地元のことが分からないから、そんな
ウワサを知らないで、いつの間にか 副会長に祭り上げられて
しまっていたんだぁ』 でした。

 死んだ人たちは、みなさん副会長の時にポックリだったそうです。
子ども会を退会してから あの世 じゃないんですねぇ。
 現役の副会長のまま この世からサヨナラしたんだそうです。

 3人も続けて死んだんじゃ、だれも引き受けないよね。
チャンチャン。

 後日談。アタイを寿司屋に誘って、子ども会に引き込んだ人も
数年後に肝臓を悪くして死んじゃいました。(^^ゞ

 

 
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なつせいかつさん

2011年07月14日 | Weblog
 7月 14日
 
 アタイの夏生活その3

 世の中には雷が好き。っていう人もいるんでしょうが、
アタイは大嫌いです。
 それは、アタイの田舎は雷の通り道になっていて、季節の
変わり目や夏の夕立にゴロピカ雷雨となります。

 これがまたよく落ちるんですよ。雷が。アタイの父親は
怒ることが少ない人でしたがね。本物のカミナリはドォ~ン!
って松の木やTVアンテナにね。

 生家の近所では電線に逆流した雷のため、家電製品が全て
壊れてしまった家や、TVアンテナから入った雷のために
TVが火を吹いたりしてましたもの。(生家も何度かTVなどが
壊れて修理しましたよ)

 祖母が元気なころ(アタイが小学生低学年までぐらい)は、
夏の夕立がやってくる前(遠くで雷鳴が聞こえたら)蚊帳(かや)を
吊って線香を焚いて蚊帳の中(家の真ん中)でジッと夕立が
通り過ぎるのを待ちましたね。

 蚊帳、最近では静かなブーム。という話も聞きますが、本当
でしょうか?(今年は節電ですから、よけいにかな)
 蚊帳って独特のニオイがありますよね。それに緑色が色落ち
して顔や手が網目模様になったりしましたよ。

 まず広げて、4隅の紐をひっかけて、中に入るときには蚊が入って
こないように素早く中へ。祖母に団扇で扇いでもらいながら
寝ましたね。
 んで、蚊取り線香だよね。『なつは きんちょー 』だもの

 夏といえば いろいろな風物詩があります。
 まずはスイカ。生家の畑でも少し作っていたことがありまし
たが、砂地の畑でしたから、水分不足と熱でやられて、食べられる
ほどにはなりませんでした。
 白い部分が多いスイカ、それに皮も厚くって、美味しいとか
甘いとかには程遠い物でしたね。仏壇に供えるだけだね。

 そいでね。アタイの母親の実家がスイカを栽培していたんですよ。
形のいいものは農協に出荷していました。んで、少しイビツな
物や色が悪い(黄色が多い)物などは、自家消費でしたので、
我が家にもたくさん持ってきてくれました。
 井戸で冷やしたスイカを半分に切ってカブリツキしましたよ。
水分がタップリのスイカでしたから、果汁がポタポタ。
 服が赤くなってしまうので、上半身裸で食べたりしましたね。
(そのせいかどうか分からないけれど、ここ何年もスイカは
食べていません。つうか、果物全般を食べなくなりました)


 打ち水。敷地の端っこに5m四方程度の池(湧水)があった
ので、そこから水を運んで庭(家の周り)にドバァ~と盛大に
撒いていました。節水などは考えなくてもよかったので、小さな
水溜りができるぐらいまで撒きましたよ。ふんどし一枚になった
祖父がね。

 花火。ロケット花火など、いろいろありますが、アタイは
やっぱ線香花火が好きです。
 田舎では線香花火のことを 手ボタン って呼んでいました。
高いけれど、国産がいいですよね。キレイだし長持ちするしね。
輸入物はすぐにポットンって落ちてしまいますもの。

 今でも線香花火が好きですね。花火大会で打ち上げるような
尺玉もいいんだけれど、パッパッて線香花火が散るのも好きです。
とにかく 楽しくって華やかで最後はせつなくなる花火、なぜか
大好きだねぇ。
 
 そういえば、震災と原発事故のため、各地の花火大会が中止に
なったり、日程変更や打ち上げの数が減ったりしています。
 東京では、約半数の花火大会が中止になっています。
 中止となった大きな(打ち上げ数が多い)花火大会では
調布市、江戸川区、東京湾。
 東京近郊では相模湖、厚木、上尾、戸田橋、古河なども中止に
なっています。
 しかたがないと思うけれど、ザンネンだね。

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あたいのなつせいかつに

2011年07月13日 | Weblog
 7月 13日

 アタイ、夏は毎年キャンプでした。

 アタイね。若かりし頃は会社関係のコーラス部に入って
いました。
 んでね。その中に 遊びの音頭取り(企画リーダー)が
いてね。夏はキャンプ、秋はテニス、冬はスキーなどなど、
あちこち遊びに行ってたんです。
 20代~30代がほとんどで、40代が少し、でした。
楽しかったですねぇ。関東周辺や甲信越などで合宿やレク
だったね。

 そいで夏のキャンプね。
 キャンプといってもテントではなくバンガローでした。
あのころはオリエンテーリングが盛んでしたねぇ。
 キャンプの候補地はオリエンテーリングができて、
川があって、キャンプファイヤーのできる場所を探し
ましたもの。

 オリエンテーリングの途中で大雨。山に行くことが
多かったから、夕立雷雨でした。
 ある年のこと、低い山の尾根を歩いているとき、雷が横に
走ったんです。アタイたちのすぐ後ろでね。
 あれは怖かったですよぉ。必死で山を下りましたよ。

 多いときで男女それぞれ10人ぐらい 合計20人
ほどが参加しましたね。(健全なグループでしたよぉ)
 若いって本当にそれだけで素晴らしいと思いますね。今に
なるとね。(笑)
 
 あのころは当然、携帯電話が無かったので、車数台で
走っていると、最後尾のほうを走っている車が必ず迷子に
なりましたよ。(カーナビも無いしねぇ)

 カーラジオのアンテナに目印の布切れなどをつけて仲間の
車を見失わないようにしてましたね。懐かしいねぇ。
 そうそう、クーラー(まだエアコンではありませんでした)
の無いのが当たり前。夏は窓を全開で走っていました。
 「おい、これから30分はクーラーのある車になるので、
みんな窓を閉めてくれ。」ってだれかが号令すると、グルグル
ハンドルを回して窓を閉めましたね。(手回しハンドルも懐かしい)

 んで、クーラーの無い車で窓を閉め切っていると、サウナ
状態でしたよ。ダラダラと汗を流しながら、信号などで隣に
他の車が並ぶと、涼しい顔をするんですよ。
 ほら、「こっちはクーラーがついているんだぜぇ。」です。
 若いから30分ガマンできましたが、今なら10分も無理だね。
30分後に窓を開けたときには、外気がヒンヤリ感じましたね。

 キャンプ場は虫がたくさん、もうたくさん。ってぐらいに出る
んですが、そんなに気にしませんでした。(虫がキライなお嬢さん
には無理だね山のキャンプは)

 夕食はキャンプ定番のカレーライス(ふんとに定番でした。
それ以外は作ったことがないんじゃないの。ってぐらいにね)
 楽しいし、美味しいですよ。みんなで作ったカレーライス。
薪のかまど。ご飯を炊くのが難しいんです。火の強さや飯盒の
材質など、半生だったりパサパサだったり、逆にベタベタのときも
ありました。
 しかし、若いから食欲はあるので、大鍋でグツグツと煮込んだ
カレーがアッというまになくなりましたね。

 食後は これも定番のキャンプファイヤー。
 昼間のうちに、キャンプ場のまわりをウロウロ物色して、林の
中から枯れ木などを集めておきます。
 山積みにした薪(たきぎ)にオリンピックの聖火リレーみたく
少し走ってきて、手作り たいまつ で点火したり、ロケット花火を
命中させて火をつけたりしていました。

 火のまわりに集まって、ギターの演奏で歌いながら、安い
ウィスキー(飲んだのはホワイトが多かった)で乾杯でしたね。
 そうそう、このころは焼酎とか日本酒ではなくって、ウィスキーが
主役でしたよ。
 こういう活動をしていると、自然とカップルができるんだよね。
コーラス部以外の人も参加していたんですが、何組か結婚しましたよ。

 
 
 

 
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あたいのなつせいかつ

2011年07月12日 | Weblog
 7月 12日

 アタイの田舎、生家から海までは2kmぐらいです。
 んで、アタイが小学校低学年ぐらいまでは、砂浜が数百m
あって、遠浅のキレイな海でした。
 キレイということは栄養となるものが少ないということ
なので、海藻も生えません。

 砂は白くて海は透明で200mぐらいは歩いていけました。
(砂を運んでいた川にダムができて、数年後には遠浅の海も
なくなりました)
 栄養のない海には魚も少なかったですよ。エサになるものが
ないからね。

 夜、家で寝るころには、ザッザ~っって並みの音が聞こえた
んです。車も少なくって、静かな夜でしたよ。(今は聞こえません)
 
 夜といえば、タコを釣りに行きました。タコ用に作った釣り針
(仕掛け)を投げておいて、砂浜に寝転がって待っているんです。
星がキレイでしたねぇ。(流れ星も2回だけですが見ましたよ)
 しばらくしてから仕掛けを上げると重いんです。小さなタコが
石を抱えて上がってきましたよ。


 あと、数年に1回ありましたが、アジとかイワシが大型の魚や
イルカなどに追いかけられたんだとおもうけれど、海岸に押し
寄せるんですよ。

 そうすると、(地区のことです。今でもと言って
います)の広報周知用に設置してあった放送スピーカーが
「海にイワシがあがりましたぁ!」って呼びかけるんです。

 それを聞いたら手の空いている人は大人から子どもまで、
バケツやザルなど、入れ物を持って海に駆けつけます。
 海岸にはピチピチ(お嬢さんではありません)とイワシが
跳ねまわっているんですよ。
 それを手づかみにして獲り放題です。

 そのうちに海もだんだん汚れてきて、貝が発生しました。
本当は漁協が試しに撒いたアサリだったようですが、栄養が
増えた(海が汚れてきた)ので、海岸数キロにわたってアサリが
獲れたんです。
 あるときはハマグリが大発生して、大都市から観光バスで
「ハマグリ狩り」に来ていたこともありました。(なにしろ
無料でハマグリが取り放題でしたからね。数量制限無しだもの)


 実はアタイは海や川など、水に近づいてはいけない!と
親から厳命されていたんですが、そうはいっても海に行きたい
から、コソッと悪ガキ仲間にくっついて行ってました。

 なぜ海はダメかというと、溺れて死にそうになったからです(笑)
アタイは記憶がないので、3歳ぐらいじゃなかったのかな?
 ガキ大将に連れられて(兄にくっついて行ったみたい)川の河口
あたりで遊んでいたんだそうです。

 近所の同い歳の子が川を指差して「たまおちゃん、泳ぐのウマイね」
アタイは溺れてアップアップしながら、海に向かって流されていた
んだそうですよ。
 遠い親戚の泳ぎが上手い中学生が助けてくれたんだそうです(なに
しろ記憶がないので、そう聞いています)

 川を指差してくれなければ、泳ぎの上手い人がいなかったら、
アタイはこの世からオサラバしていたんだよね。
 川幅が20mぐらいの川ですが、流れが早いので、1分もかからない
うちに海でしたね。

 小学生の高学年のときに、同じ川の河口が流れ込んでいる場所(海)
でまた溺れてしまいました。(笑)
 このときは、誰もアタイが溺れていると気が付かなかったんですよ。
アタイ、泳げるんだけれど、そのときは浮き輪を使っていたんです。
 んで、中学生が「その浮き輪を貸せ。」って急に取ったんですよね。
そうしたら、足元はポッカリと深い穴のようになって10メートルぐらいの
深みになっていました。川の流れで砂が流されていたんです。

 パニックでしたねぇ。川の流れで下に引きずられるんですよ。
必死で両手を海面に出していました(手が20cmほど水の上)
浮き輪を取った中学生が ”なにをそんなに騒いでいるんだ。しょうが
ないから返してやるよ” ってアタイの手に浮き輪を持たしたんです。

 それにしがみついたとたんに川の流れで、沖に数百m運ばれてしまい
ました。
 ゆっくりユックリと平泳ぎで岸に戻りましたよ。浮き輪から空気が
抜けないことを祈りながらね。
 浮き輪を返してくれるのが、あと数秒遅かったらお陀仏でしたね。
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まるまるなぴぃてぇえーそのよん

2011年07月11日 | Weblog
 7月 11日

 PTA生活 その4(時間軸はバラバラです。前後しています)


 二男の高校。
 1年目は広報委員。になってしまいました。
 これってヘンな言い方ですが、ふんとに なってしまった んです。

 例によって入学式後に保護者が集まってクラス委員を決めます。
前年度までの本部役員などが、新入生(1学年)の各クラスで、PTAの
行事や委員会ごとの活動を話してくれました。ということです。

 ということです。っていうのは、我が家では学校関係のことについては
ご主人ではなく、アタイが全てやっていたんですが、このときアタイは
どうしても外せない用事があったので、ご主人に行ってもらったんです。

 んで、当然のようにクラス委員がなかなか決まらないんですよね。
 そこで、ご主人が元気よく手を挙げたそうです。
 「しかたないわねぇ。だれもやらないのならやるわよ!」って教室に
響き渡るご主人の声。
 「え、やっていただけるんですか? ありがとうございます。」って
本部役員。

 「こういうことは協力しなきゃ。なさけないわね。自分たちのPTA
でしょ。自発的にやらなきゃ。」ってご主人
 「すみません、それではお名前を」って役員
 「たまおよ。」
 「すみません。それはあなたの名前ですか?」
 「違うわよ。ダンナの名前よ。PTAをするのは私じゃなくってダンナ。」
(多少の脚色をしましたが、まぁこんな感じだったと思います。アタイ、
その場にいなかったからね)

 つうことで、アタイが広報をすることになりました。

 
 この学校の広報委員会はお金(PTA予算)をたくさん持っていたから
リッチでしたよぉ(あ、PTA活動する中において。という意味ですがね)
 なんだかんだと理由をつけて使っていました。(その中身については
差しさわりがあるのでカット)

  広報紙は4面構成でしたが、その面ごとにグループを作って作業を
進めていきます。
 たとえば1面は会長挨拶、PTA総会の報告
     2面は学校関係、生徒の修学旅行
     3面は・・・
     4面は・・・ ってね。

 んで、グループの中で自己紹介が終わって紙面構成作業開始。
 ここで「セクハラのたまお」が本領発揮。
 初めて会ったようなものなのに、すぐに ○○ちゃん って呼びました。
ふみこちゃん、あつこちゃん、けいすけちゃん。ってね。

 みんなはカチンときていたそうです。アタイが居ないときには
「なによ、アイツ。馴れ馴れしくちゃん付けで呼ぶなんてぇ!」
「ジョウーダンじゃないわよね。」「何さまのつもりかしら。」などなど。
  (もちろんその後は親しくなって、ズゥーと今でもちゃん付けですよ。
アタイは たまちゃん とか たまおくん)

 2学年からは 広報委員会にヘンなのがいる。ってウワサになったようで、
本部役員に引き抜かれました。
 アタイは広報のままでよかったんですが、せっかく誘ってくれたんだ
から。本部もアタイのペースに引き込んじゃえ。でしたね。

 このときも、本部の「年度初回会議」のときに、新入りなのに議題に
クレームをつけて「それは違うと思います。」って一発かましたんです。
またまた他の人はカチィ~ン!ときたみたでしたね。当然だよね。
 「やな奴、だれが本部に入れたのよ。」「あーっ。こんなのが入って
きたんじゃ先が思いやられるわ。」 だったとさ。
 (でもヤッパそのうちに とっても仲良くなって、高校PTAを卒業して
から数年になりますが、今でもちゃん付けで呼び合って、遊びに行ったり
飲みに行ったりしていますよ)
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まるまるなせいかつ そのさん

2011年07月10日 | Weblog
 7月 10日

 ○○な生活PTA編 その3

 昨日とは違う高校でのPTA山荘。アタイ、長男と二男で
2つの高校PTAを経験しました。

 この学校にも学校関連団体が持っている山荘があるので、
隔年で山荘へ。
 ところが少し違う。この学校は「山荘研修」なんです。
長男のときは「山荘旅行」でした。

 バスに乗ってもビールは出ません。お茶です。
 名所旧跡巡りではありません。美術館や古寺の見学。
昼食時にもアルコールは無し。
 バスの中ではゲームやクイズではありません。先生指導に
よる俳句作り。
 とにかく「研修」ですよ。
 学校の違いがでますねぇ。(アタイは前の高校タイプが好き)

 山荘に着いて、部屋の掃除、全員での食事準備(管理人が
いますので、料理を作ることはありませんが、テーブルを並べ
たり掃除や配ぜんです)
 
 夕食時にもアルコールは無し。
 食後は地理や天体の勉強。そして昼間に作った俳句の発表会。
これって、生徒の話じゃありませんからね。PTA(保護者)の
ことですよ。(笑)

 21時頃に解散となって、その後は懇談(残りたい人だけが残る)。
 ここでビールが出ます。ひゃぁ~ やっとだよ。
 もちろんかくし芸や出し物などはありません!キッパリ。

 お酒がはいっている懇談会でも これからのPTA活動はどのように
進めていくか。学校や先生との協力はどうすればよいか。 地域貢献や
社会貢献できることがあるか。生徒との関わりをどうするか。などなど。
真面目な討論となります。
 バカ騒ぎなどはいっさい無し。静かな声と時間が過ぎていきました。

 ふんとに学校によってこんなに違うんだ。って思いましたねぇ。
長男の高校は地域で一番でした。そうはいっても23区ではレベルの
低い区ですし、入学するのも地元か近隣の区からが殆どでしたしね。
 親も近所のおばちゃんタイプが多かったですね。

 二男はまだ学校ブロック制度があったときの一番上といわれた学校。
すでにブロック制は廃止されていましたが、入学するのはそれなりに
広範囲から。

 生徒の姿勢(勉強以外)も違いましたよ。
 長男の学校では、運動会で後ろ向きに走ったり、バック転したりする
生徒がいたし、卒業式ではクラッカー(爆竹)が鳴りましたもの。
 二男の学校、運動会も必死に全力で走っていました。お茶らけ は
一切ありませんもの。

 んでね。二男はとてもこの学校に入れる学力ではなかったのですが、
偶然って世の中にはたくさんあるんですよね。
 二男が受験した年は、なぜかその学校の受験倍率が低かったんですよ。
表向きで1.06倍ぐらいでした。(その年の前後はもちろんですが、
いつでも1.3~1.5倍程度はあります)

 試験当日は欠席する生徒もいるし、合格しても他の学校へ行く人もいるし、
アタイの計算だと、落ちるのは10人ほどでしたね。
 いくら愚息の成績が悪いといっても、下から10番目ということは無い
と思っていましたので、試験結果を待たなくても合格は確信していました。

 中学の三者面談のとき、愚息の担任が「どこの学校を受験するんだ?」
 愚息が「○○高校です。」
 担任「フゥ~ン、ま、ガンバッテね。」でしたよ。

 初めから合格するとは思っていなかったというか、なにを たかのぞみ
しているんだ。でしたねぇ。
 愚息が合格報告に行ってときには 担任の目が点になっていたそうですよ。
(職員室がザワメイタみたいです)

 つづく
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まるまるせいかつ

2011年07月09日 | Weblog
 7月 9日

 ○○な生活PTA編 その2

 時間軸は無視して、思い出したことをカキコします。
殆どのエピソードなどはカキコしたことがあると思うけれど、
まぁいいか。です。

 んで、まずは長男が入学した高校。
 1年目はPTA委員(活動)をしていませんでした。そうし
たらね。地元の「子ども会」仲間が、PTAが面白いと言って
いたんですよ。その高校の。
 「たまおさんも来年は委員になりなさいよ。飲み会はあるし
旅行はあるし、楽しいよぉ。」

 チョイと疑っていたんですが、次の年のクラス委員決めで
やっぱり広報委員が決まらないんです。アタイ、経験したことが
無いけれど、やってみるか。って手を挙げました。
 この学校がPTA委員活動にドップリつかることになった
キッカケでした。

 広報紙発行についてはカット。
 このときは広報委員の中に 学校新聞作成専門 としている
人がいたんです。自分で印刷会社(個人経営)を持っていました。
 いろいろな学校などの発行する新聞や広報紙を作成する手伝い
編集補助、印刷などをしている人で、記事さえ集めれば、あとは
お任せ。(この人には次にアタイが広報となる学校でも協力して
もらいましたよ)
 
 んでね。この学校は山荘を持っていました。
 夏にはPTAで「山荘旅行」があるんです。
 PTA主催でバス1台(50人前後)で行くんですが、先生も
10人ぐらいが参加(強制的にPTAが募集)するんですよ。
 
 バスに乗って出発すると、お決まりのPTA会長や校長の挨拶。
んで、それが終わるとすぐにビールが配られます。
 かんぱぁ~い。
 お酒が少しまわったころに、自己紹介。
 参加している先生が すごく低姿勢なんですよ。先生のイメージ
ってあるけれど、ぜんぜん違いました。

 途中何カ所か名所巡り、そして山荘に着いたころには、みなさん
足元が覚束ないぐらいになっているんですよ。
 部屋割がしてあったので、自分の部屋へ。

 荷物を置いて、事前(参加者に旅行の しおり が配られた時点)に
決めてあったグループごとに集まります。
 「さて、このグループでは何をやりますか?」って、グループリーダーに
なった本部役員が言うんです。
 
 なんのことか分からなかったんですが、夕食後に各部屋ごとに
「出し物」をやって、それについて練習するんですよ。夕食前に。
 そんなの知らないし、聞いたこともなかったので、ビックリでした。

 つうことで、1時間ぐらいで決めなければならないので、そんな
急にはアイディアが浮かびません。
 結果、踊りをつけた 炭坑節 にしました。

 他のグループでは、チョンマゲ のかぶり物を持って来ていたり、
顔にメークしていました。
 別のところでは校長が「また今年もやるのぉ?」
 「今年もお願いします。PTAに協力してください。」って言われ
ながら、シブシブ上半身裸になっているのでした。 何をするんだろ?

 夕食の時間となりました。
 食堂に全員が集まったとき、部屋の電気が全て消されて、入口には
ボゥ~と蝋燭の灯りが。
 蝋燭を持って現れたのは校長でした。上半身にシーツをグルグル巻きに
して、ギリシャかローマ時代のような扮装をにしてね。

 そいでテーブルに置いてある蝋燭に火を点けてまわります。
 校長によるキャンドルサービスでした。
 「今年もよろしく」「お疲れ様です」「今後ともよろしく」などと
低姿勢で参加者に挨拶しながらね。
 このために上半身裸になっていたんだねぇ。ナットクでした。

 食後はお待ちかねの演芸会!
 チャンバラ、ミュージカル、漫談。次々に爆笑の演技が続きます。
ついにアタイたちのグループの番になりました。

 簡単に打ち合わせと練習をした 炭鉱節 を披露です。
 「つきがぁ~♪ でたでぇたぁ♪ つきがぁでたぁ~ぁ♪ ヨイヨイ」
って歌い踊りながらテーブルの間を移動するんです。
 その合間には 「掘って掘ってまた掘って!」と掛け声を入れます。
その掛け声に合わせて下半身を前後に動かすんです。アタイの前は
PTA会長でしたが、その会長がアタイの動きに合わせて自分の
お尻を押さえます。 
 見ている人は大爆笑!! オカマを掘っているんですねぇ。(笑)

 こりゃ楽しい。こんなPTAならもっと早く参加しておけば。
ということで、つづく。
 
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あたいのまるまるせいかつ

2011年07月08日 | Weblog
 7月 8日

 アタイの○○生活 PTA編です。

 アタイ、それなりに生きてきましたから、波乱万丈とはいき
ませんが、なんだかんだとやってきましたよ。
 つうことで、まずは親として学校関係のこと。

 アタイ、愚息の保育園→学童保育→中学校→高校って
合計(通算)で15年ぐらいは父母会やPTAに関わって
きました。 小学校はPTA活動していませんが、その
代わりに子ども会を15年間やりましたねぇ。

 無理やりにPTAの役員に指名された人。っていうのは
ツライしツマラナイんだろうね。
 でもね。くじ引きだろうと他薦だろうと、やらなければ
ならなくなったら楽しく活動したほうがいいよね。

 んでね。小学校のPTAについては経験が無いので、中学の
ことですが、PTAと学校って上下関係じゃなくって並列の
はずなのに、そうはいかないんですよ。

 こないだの県知事と復興相みたいなもので、学校が上という
意識が学校側にもPTAにあるんですよ。(もちろんアタイが
関係した学校の話ですからね。でも一般的にはそうだと思い
ますよ)

 中学のPTAは広報委員でした。
 年に3回広報紙を発行するのが主な役目。
 ふんで、自己規制するんですよ。それはね。広報委員会などで
企画や紙面構成をしていると、PTA本部役員が立ち会っていて、
口を出すんです。
 「それは記事にできない」「こういう表現はダメだ」とかね。
それは半分理解できるんですよ。PTAの名前で広報紙を発行
するんですから、PTA本部としても責任が出てきますもの。

 しかしあまりにチェックが厳しいと、せっかくやる気で燃えて
広報紙を作っているのに、ジュ!って水ですよ。
 本部役員の検閲を通過したら、こんどは学校側の点検があるん
ですよね。(こちらは比較的やわらかでした)
 そいでやっと発行できるんだよね。

 面白いなぁ。と思ったんですよね。
 それはね。
 小学校は親も小学生並み。中学は親も中学生扱い、高校は親も
一人前の立場でした。(「自主協調」の高校でした)
 子どもは小学生でも、親は大人なんですがねぇ。小学→中学→高校
だんだんと干渉されなくなるんだよね。

 そいでね。広報委員というより、PTAってをやりたかったわけ
ではなくって、他の委員(校外とか文化って名前だったなぁ)は
なんとか決まったんですが、一番人気が無い広報が最後まで残った
んです。

 拘束される時間(日数)が多いですからね。広報紙作りに直接関係
する企画、編集、校正作業以外に各種学校行事(近隣の小中学校の
行事もあります)、PTA行事(自分の学校、地域の学校、ブロック
ごとの、区の、都の、全国の)参加、地域行事(町内会など)の参加
それらの取材。

 3~5月は毎週のように 何かが ありました。
 卒業式、入学式、人事異動(校長以下教職員)、PTA総会(自分の
学校から全国まで、および近隣の小中学校)。

 他の季節も学校行事がてんこもり、取材しなくても先生に写真と原稿依頼。
 遠足、修学旅行、体育祭(運動会)、文化祭、音楽会などなど。
各種行事がたくさんあります。体育祭や文化祭はPTAとしての取材も
しましたよ。

 あまりダラダラ書いていてもしょうがないので、PTA生活で
面白かったことをカキコします。
 あ、長くなったので明日に つづく
 


 
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べんきょーかいきょーかん

2011年07月07日 | Weblog
 7月 7日

 先週、会社の社内勉強会で講師をしました。

 研修センターで高所作業車の訓練もやりましたが、それとは
別で、このときはアタイが講師として社内勉強会でした。

 アタイ、工事の現場監督をしたりしていますが、建設業の
工事ではいろいろな役(担当)があります。
 その中に 現場代理人 っていう重要な立場の人がいるん
ですよ。

 この人は、工事現場では「会社の代理人」です。簡単に言うと、
全てのことに対する権限を持っていて、全てのことに責任を
負います。(現場では一番エライ)

 っていうことで、何か事故(労働災害)があると、事故を
起こした当人や会社はもちろんですが、現場代理人も責任を
問われることになります。

 もし過失があったと判断されたときには、会社だけでなく、
個人的にも責任ですからねぇ。タイヘンですよぉ。
 例えば、現場代理人に対して罰金○○万円となったとき、
そのお金は代理人個人が払うんですから。(会社が代わりに
出したりすると、法律違反)
 重大事故などでは禁固刑や懲役もありえるんですよ。(会社
からも懲戒処分を受ける可能性が高いよね)

 そういうほどに責任が重いんだけれど、アタイの会社では
そのことを上司(管理者)が知らないんですよ。
 アタイの支店じゃなかったんですが、「だれでもいいから 
現場代理人を立てておけ。」というような発言をした部長も
いたそうですよ。

 ということで、現場代理人の役目、法的な立場、心構えなど
を出席者に話したんです。(アタイがそんなことを言える人間
ではないことは承知していますが、これは勉強会ですから)(笑)


 しかしヤッパ知らなかったんですねぇ。この日の参加者。
責任や処罰の大きさ・重さを説明したとたん、何人もから
質問が出ましたもの。
 今まで事故が無かったことが偶然だった。奇跡だったと
思うのが正しいのであって、キチンと安全に留意・配慮していた
からではない。ってことをみんな理解したようでした。

 座学のあとグループに分かれて、こういう作業のときには
こんな危険がある。その危険の高さを判断して、それを回避する
ためにはどうすればよいか。 というような課題をやりました。
これをリスクアセスメントといいます。

 予定時間をオーバーして、最後は駆け足になりましたが、
なんとか勉強会を終えることができました。

 この日の参加者全員が思ったこと
 「幹部社員も勉強してくれ!」
 
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せつでんほんかくじっし

2011年07月06日 | Weblog
 7月 6日

 アタイの会社、節電対策が本格実施となりました。

 7月からは大口需要家の節電15%。となりましたよね。
んで、照明削減、具体的には蛍光灯を 間引き するんですよ。
 法律によって決められている事務室の照度は、精密作業で
300ルクスとなっていますが、それはそれは昔に作られた
法律ですから、これじゃ暗すぎですよ。

 実態は500ルクス以上1000ルクス程度まで。じゃない
でしょうか?
 つうことで、アタイの職場では500~700ルクスの間
になるように照明を調整することになりそうです。
(まだ実施されてはいません)

 冷房は28℃。しかし先週は部屋の温度計が32℃ぐらいに
なっていましたが、空調は入りませんでした。
(判断は 「職場環境委員」が決めます)

 扇風機と団扇。首に濡らしたタオル。
 パンツはグッショリ。首から胸に汗が流れます。仕事をする
環境じゃないですよ。
 しかし15%削減しないと罰金処分だし社会的立場もあるしねぇ。
会社も必死ですよ。
 電力使用アラーム装置をつける。ってことですよ。使用制限に近く
なると警報だそうです。
 んで、そのときには照明、空調、パソコン。とにかく緊急的に
電源OFFとなるそうです。

 昼休憩も1時間ズレました。13時~14時です。
 最近の電力ピークは13時~16時ぐらいだそうですから、
休憩時間を後ろにすると多少はピークを下げる効果があるかも?

 チノパンとポロシャツもOKになりました。3割ぐらいの人が
ポロシャツで出勤してましたよ。アタイは半そでYシャツでした。
 午後にはポロシャツでもガマンできなくって、下着シャツで
動き回っている人もいました。

 しかし、冗談で誰かが言ってましたが、「早く倒れてくれない
かなぁ。お前でもいいからさ。そうすりゃ少しは冷房を入れて
くれるんじゃないかな?」なんてね。

 気温よりも湿度ですよ問題は。温度が高くても風があったり
日陰(建物の中)だとなんとか耐えられるけれど、湿気は窓を
開けても下がりませんねぇ。

 昨年までは自宅にいるより会社のほうが涼しくてよかったん
ですが、これじゃ通勤が無い分だけ自宅のほうがいいかも?
(我が家はエアコンありませんから会社の冷房がウレシイ)
 そういえば会社で在宅勤務を募集してたなぁ・・・ ってか。
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えいがしちがつ

2011年07月05日 | Weblog
 7月 5日

 「パイレーツ・・・・・」を観てきました。

 アタイは66点 不合格(65点じゃなくって66点)。
やはりアタイだけではなくって、映画評価サイトでも点が
低くなっていますね。(アタイが自分の主観で判断するために
作品を観てから、評価サイトを見ることにしています)

 映画的にはそれなりの出来でしたが、アタイを含めて、観客は
シリーズとして評価しますからねぇ。
 ダレるシーンがたくさんありました。もう少しテンポよく
展開していけば違った評価だったと思うけどね。

 1~3作と今回(4作目)は違う映画監督ですから、作風も
異なってきたんだろうね。(脚本家は同じ)
 
 いつもと同じでストーリーは書きませんが
・イギリス国王は”らしく”ってよござんしたよ。
・人魚はどうなんだろ? なにがって? それはね。
 海では下半身が魚でしたが、陸では足になりました。西洋の人魚
 ってそういうものなのかなぁ?
・吊り橋(谷)は止めたほうが良かったかな?
・泉のシーンはまるで 「いんでーじょーんず」 だよ。
・キャプテンスパローの敵(ライバル)がいなかったのもザンネンでした。


 あと、どうしても納得できないのが パイレーツなのにシーンの
大半が陸ばかりだもの。海賊なんでしょ。海賊には海が似あうよね。
 
 今回の作品は3D,日本語吹き替え版、がありましたが、アタイは
2D字幕版を観ました。
 画面が飛び出すことに意味を感じていないから、安いほうでいい
ものね。(それに3Dは脳がついていけなくって、頭が痛くなります)

 まだまだ続くような終わり方でしたねぇ。
 「すたーうぉーず」などの連作物は、どんな時代でどういう状況
なのかが説明されるんだけれど、パイレーツもこれだけ連作している
んだから、チョコッと前回のことを文字でもいいから入れてもらい
たいね。数年前に公開された前作のこと、アタイは覚えていませんよ。

 やっぱ次の作品舞台は海ですよ。海にしましょ。ね、デズニーさん。
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きょうつーばんごー

2011年07月04日 | Weblog
 7月 4日

 社会保障と税の共通番号が決まりました。

 「社会保障改革検討本部」で共通番号の正式名称が
「マイナンバー」に決定しました。

 この共通番号制度は 年金、医療、介護保険、福祉、
労働保険、税務の6分野に利用されます。
 制度の充実や事務手続きの効率化につながる。という
ことだそうです。

 不正利用を防ぐために、第三者機関を設置して管理する
そうです。
 しかしながら、日本だけではなくって、世界中でハッカーや
内部情報持ち出しの漏えいが続いていますよね。

 これだけの情報を一箇所で管理するんですから、これが漏えい
したときにの影響は計り知れないことになるんだろうねぇ。
 ソニーの個人情報漏れとは比較にならないよね。
(件数のことではなく、その内容が重大だもの)

 アタイは国民総背番号制には基本的に賛成です。
 ただし、条件がいろいろあって、それを全てクリアできるのは
まだまだ先ですよ。

 第三者機関は情報を厳格に管理する。ってことが一番だよ。
関係する情報を関係する部署だけに開示する。これが難しいと
思いますよ。
 初めはそれなりに管理されているんでしょうが、官僚っていう
のはなんでも管理したがるものなので、そのうちに法令を作ったり
弾力的に運用したりして、自分たちの都合に合わせてきますよ。

 犯罪捜査に使ったり、医療とはいいながら病歴を管理したりね。
いつ誰がどこに居たか。ってことも分かるようになりますよぉ。
個人が管理されることになりますからねぇ。
 まだまだ情報の集積が行われることになるのは確実です。


 今はまだ車(道路)関係しか管理されていませんがね。
 え、知りませんでしたか?
 主要道路にはいろいろな名目で監視カメラがたくさん設置されて
いるんですよ。スピード違反のカメラ以外にね。

 車輛ナンバーだけでなく、人の顔もバッチリ映りますからねぇ。
こないだ6億円強盗事件があったでしょ。
 あのときの報道を覚えていますか? 容疑者(実行犯)が数人だけ
逮捕されましたよね。

 どこどこのICから高速に乗って、どこで降りた。国道はどこを
走ってどこまで行った。っていうのが分かってしまうんだよね。
 犯罪捜査にしか使わない。ってことになっていますが、もしだれかが
当局に何か不都合なことをしたとき、車で移動した場合は行動を把握
されるんだよね。
 んで、今は車だけですがそのうちに電車もバスも店の買い物も・・・

 つうことで、共通ナンバー制度を導入するにしても、まだまだ日本の
法律が整備されていませんよ。
 悪用(弾力運用)、法律改悪、処罰規定などなど。「これで納得って」
なるぐらいにならなきゃね。

 
 
 
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しょうひしゃじょうほうすこし

2011年07月03日 | Weblog
 7月 3日

 消費者情報を少しだけ いろいろ。

  進学塾 市進教育グループに 不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)
第6条に基づく消費者庁の措置命令。

 大学入試受験対策用に開設した講座等の受講生の募集に当たり、パンフレット・
新聞折り込みチラシ・ポスター及びウェブサイトにおいて表示した、平成22年度の
大学合格実績について、大学合格実績を加算した。
 (ま、いわゆる塾生の水増し合格だね)

 これに対して、市進教育グループは
 「これらの表示は一般消費者に対し、実際のものよりも著しく優良であるものと
示すものであり、景品表示法に違反するものでした。大学合格者数実績の表示に
つきましては消費者庁の指摘後、自主的に訂正をいたしております。」だそうです。
(詳細は市進教育グループ http://www.ichishin.co.jp/)


 進学塾・学習塾も系列化が進み、競争激化ですから、なるべく多くの大学(有名
大学)合格者実績をあげなきゃ。
 ということで、勇み足というか禁じ手というか、どこの業界でも同じようなことが
行われていますよ。自社を良く見せようということだね。



 次、ダイドードリンコ「ミネラルウォーター(ペットボトル)【代金相当の返還】」

 台湾から輸入したPETボトル入りミネラルウォーターミウLV(リミテッドバージョン)
525mlの一部において、キャップの密封性に不具合のある製品が混在していることが
判明した。万全を期するため製品を自主回収です。

 大震災と原発の影響でペットボトル飲料が品不足になりましたから、台湾から調達
したんだろうけれど、その中の製品に不具合があった。ということかな?
 この製品(ペットボトル)がまだ手元にある人は、飲まないで販売店に持っていってね。



 次 アプリコット合同会社の「温泉付き有料老人ホーム利用権」は契約しない!

 「被災者支援などを名目とした『温泉付き有料老人ホームの利用権』の買取り等の
勧誘に注意」
 しかしまぁ、「温泉付き有料老人ホームの利用権」に関連するトラブルは、特段、
被災者支援を名目としないケースも多く見られるよね。

 「緑開発合同会社、グリーンアート、三葉コーポレーション、アプリコット」が
悪徳業者として名前があがっています。

 電話で突然、「上記の会社が温泉付き有料老人ホームの利用権を販売しているが、
これは個人しか買えないので、代わりに買って欲しい。買ってくれれば、購入金額に
少し上乗せした額で買い取りたい。」と別の業者名を使って話があった。

 何度も電話がかかってくるので、根負けして買った。 
 結果は御存じの通り、その後の連絡は無し。だということですよ。

 高齢者ばかりじゃないんだろうけれど、とにかくウマイ話は世の中にはありません。
たぶん、すでに会社名を変えて同じことを繰り返しているんだろうね。

 あと、いわゆる「未公開株」の被害も無くなっていないそうですよ。これも震災に
乗じて勧誘しているそうなので、気をつけてね。

 

 次 京阪交通社「旅行券 払い戻し」*読み間違えないでよぉ。阪急じゃないし、
京急でもありませんからねぇ。 「けいはん」 ですよ。

 関西系の旅行会社なので、東京に住んでいる人が、この会社の旅行券を持って
いる可能性は低いけれど、大阪などに親戚や友人がいるのなら、教えてあげてね。
(払い戻し申し出期間は 7月1日~9月10日 です)

 同じように 
   福島信用販売「商品券」(7月1日~9月30)
   高岡ステーションデパート「商品券」(6月10日~8月22日)
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くんそうに

2011年07月01日 | Weblog
 7月 2日

 昨日に続けて この日のカキコも削除です。
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