河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

634‐ようやくメータが出てきた。NYP 1983.10.11 その2

2008-07-06 20:48:04 | 音楽

19831984シーズン聴いた演奏会のことですが、ちょっと間隔があいてしまいました。

631-の続きです。

.

といっても、演奏の翌日のニューヨーク・タイムズにのった評です。

書いてるのは言わずと知れたドナル・ヘナハンの限りなくわかりにくい文章。あいもかわらずですが。。

全訳はあとで暇なときにアップします。

.

音楽監督のズービン・メータがオープニングの棒も振らず、一か月ほどしてからようやくこの日、今シーズン初振り。イスラエル・フィルとのツアーの優先度が高いものなのか、あまりよろしくは書いてません。

それでも冷静なヘナハンのこと、この日の演奏についてはあまり感情をはさまず、淡々と評を書いているのが印象的です。

マーラーの5番が巨大な曲に変わりはありません。昔と違い昨今はマーラーが日常茶飯事で、やるほうも聴くほうも普通になってしまいましたが、技術と泣き節だけの演奏が大半をしめてしまった昨日今日の演奏はプラケースにはいった豆腐のようで、なにか味気ない。

音楽そのものの推進力、リスクをおかすに値するもの、そのようなものがなくなってしまったような気がします。以前のスリリングな様が消えるとき表現は陳腐になります。

ヘナハンはあくまでもこの曲を巨大な難物として評を下している。

人気blogランキングへ

Banner2_1 人気blogランキングへ

2


独立宣言232年 自由の女神122年

2008-07-04 00:01:28 | 音楽

1

633 独立宣言232 自由の女神122

74(華金)。。

今年も独立記念日がやってきた。そして華金だ。盛り上がります。

ブログも浮足立ちます。

だって2年前の同日のタイトルに2を足すといいんですね。

一度目をとおしてチェックしてくださいな。

ブロードウエイはパインストリートを越え、右にトリニティーチャーチを仰ぎ見ながら、ウォールストリートをやり過ごし、レクターストリートをスキップすると、まもなくバッテリーパークに着く。そこから見るやや遠目の、スタチュー・オブ・リバティーは今日もしっかり立っている。

昔、地下鉄コートランド駅、アレキサンダー・デパートの上に天まで届くビルがあった頃、その天から睥睨したながめは絶景であった。右にハドソンリヴァー、その先にニュージャージー、左にイーストリヴァーを見ながら、そして正面やや左にスタッテン・アイランド、やや右に、スタチュー・オブ・リバティーを展望することが出来た。ジャンプするとどこまでも飛んでいけるような気がした。そのビルも今は無い。

アメリカが独立宣言をしたのが1776年。独立百年記念で自由の女神をフランスから寄贈されたのが1886年。百年記念と言いながら、110年たっていた。だから自由の女神寄贈100年祭は1986年。このお祭のとき、レーガン大統領はたしか空母だか戦艦だかを降りなかったはずだ。当時リビアのカダフィがマンハッタンの地下鉄に爆弾を仕掛ける、などといった噂が河童界に流れていたのだ。100年祭で世界中からたくさんの船が来てお祝いをし、自国の、島のような空母、戦艦なども山のように寄港した。しかし、レーガンは確か上陸しなかった。いずれにしろ独立記念日と自由の女神寄贈とは百年単位+10年という割と中途半端な数値である。

ニューヨーク・フィルの最初の公演は1842年アポロ劇場においておこなわれた。思えば長い歳月が経ったものだ。ざっと166シーズン。数々の指揮者がオーケストラとともにあった。未来の音は聴くことが出来ない。しかし音を出すことによってしか未来は創造出来ない。未来を創造するのは夢・希望に膨らむ若手プレーヤーをおいて他にない。河童に出来ることは残念ながら昔の音を思い出すということだけだ。

指揮者と歌い手、変な話、亡くなると両方ともあっという間に忘れ去られてしまう。場合が多い。例えばヴァントの盛り上がり。あれは一体なんだったのか。その意味では聴衆は冷たい。今、ここで、音楽を発する演奏家が大事なのである。この冷たい現実はしかししっかり受けとめなければならない。音楽をする喜びとともに聴かせることが出来る喜び、両方感じて欲しい。

作曲家は未来の音を予言する。聴衆にとっては予期せぬものだから張り切って聴けばいいものを、その根性がなくなってきている。駄作が増えたのではなく、予期せぬ音楽の広がり、緊張感についていけなくなってしまったのだ。最近の河童は半世紀前のいわゆる当時の現代音楽も何故か懐かしい。誰か音楽の行き先を教えて欲しいものだ。熟した音楽はどこへ向かっているのであろうか。

おわり

(河童の記憶だけで書いてます)

人気blogランキングへ

Banner2_1 人気blogランキングへ


632‐最高の演奏は最悪の組み合わせで  アンタル・ドラティ

2008-07-02 00:42:28 | 音源

Antal_dorati_topimage

ユニバーサル・ミュージックというのは主要なレーベルが全部合体してしまった会社であり、実につまらなくなってしまった。道路をまず全部アスファルトにしてしまって、あとから修正を加えていこう、みたいなおおざっぱで粗末、音楽に対する真摯な姿勢なんてあんまり見えてこない。

そんななか、20世紀の巨匠シリーズ、が何年か前からはじまった。混合レーベルの強みを生かし、一人の指揮者にスポットをあて、これでもかこれでもかと発売しまくる。

どうしようもないユニバーサルだが、この企画は買い勝手がよく変に気にいっている。

.

11回は2007725日発売の、アンタル・ドラティの20タイトルだった。(全曲目は下部をみてください。)

ついこの間、ようやく全部を聴き終えた。

一言で言うと、素晴らしい、、尽きる。

オーケストラは、ミネアポリス(ミネソタ)、デトロイト、ロンドン、ロイヤル・フィル、フンガリカ、など。

どれもこれもいい出来で昔のスタジオ録音の緊張感が伝わってきて心地よい。

そんななか、一番驚いたのは、ロンドン響を振ったベートーヴェンの第7番。このみずみずしさ。ベートーヴェンになにか新しい息吹をあらためて感じさせてくれるような素晴らしい出来だ。

また、新発見もある。コダーイの管弦楽全集。絵では2枚組と書いてあるがこれはうそで3枚組。コダーイの管弦楽はアメリカの近代音楽に非常に近いものを感じさせる、実に魅力的な音楽であった。

音的には、ロンドン響のものは引き締まっている。デトロイト響は透明だが厚いガラスのようなサウンド。マーキュリーのリヴィング・プレゼンスは録音時期が古いにもかかわらず驚異的な音で、ミネアポリスのういういしい演奏とともに一番魅力的。

オケの腕は確実にロンドン響がトップ。フンガリカはかなり劣る。

いずれにしても、久しぶりに聴く数々の曲、こんなにも魅力的だったのかとあらためて音楽に舞い戻る力を与えてくれる。

.

それで、ユニバーサルはここでも致命的な企画にしてしまった。

1枚のCDのオーケストラの組み合わせがグチャグチャなのである。どうしてこんな失敗を犯すのか。

作曲者毎にまとめる、小曲を詰め込んで枚数減らし、その真意はわからないが、それぞれの時代のそれぞれのオーケストラの魅力をもののみごとにバラバラにしてくれた、史上最悪の組み合わせ。この会社の企画人たち、なにを考えてモノづくりをしているのだろうか。

今、このような組み合わせは時代おくれであり、1枚のCDの収録時間が長ければ長いほどいい、みたいな時代は遠くかなた、それぞれの特色を生かした主張のあるまとまりの1枚のほうが大事。そんな時代。全く分かっていない。

ちょっとちがうが、どこの会社も飽きることなく作り続けるベスト盤、あんなものはクズだ。買い手にどんな判断をさせたいの?本当にダメな企画。。

.

それでドラティであるが、ここにあるのが彼の全ての録音というわけではない。例えば、マーキュリーにはまだまだあり、コープランドもの、チャイコのナッツクラッカーなど魅力的な録音がある。

この最悪な組み合わせのCDで、最高の演奏、というものを宣伝するつもりはないが、下記の曲をみればいかに魅力的なものであるかわかると思う。

アンタル・ドラティ

人気blogランキングへ

Banner2_1 人気blogランキングへ