河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

へナハンの評クラムとナッセン ホライゾン-14-

2007-01-16 21:01:00 | 音楽

88_1

前日のホライゾン1984の評が日をおかずさっそくニューヨーク・タイムズに載った。

言葉も内容も恐ろしいへナハンさんの評。

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198468()

ニューヨーク・タイムズ

ドナル・ヘナハン

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質はいつでも量を打ち負かす。悪いことに、プログラム・ビルダーにとって、わかりきったことを認識する、あるいはとにかく行動を起こすというのは難しいものだ。

エイヴリー・フィッシャー・ホールにおける昨晩のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会は、演奏時間を合計しても約1時間のものであったが、全ての瞬間が重要なものであった。

オーケストラによる‘ホライゾン1984’シリーズ第8回目のプログラムは、世界初演となるジョージ・クラムの‘魅入られた情景’と、オリバー・ナッセンの合衆国初となる完全演奏会版のオペラ‘ワイルドなもののあるところ’。

両曲とも注目にあたいする作品で、おそらく、繰り返し聴くのに耐えられるだけのものがある。

ズービン・メータが、肘の手術から戻ってきてナッセンの曲を振った。その指揮ぶりは休みの間、あたかも電池を充電していたようなものであった。そして、納得。グラインドボーンその他で演奏されているモーリス・センダクのリブレットによる子供たちのファンタジー1幕物オペラは、メータ氏がいつも大いに楽しんでいるようなある種技術的挑戦に富んだものであった。

ナッセン氏の音楽は、いつも人を安心させるようなシンプルなものである。しかしそれはとんでもない。たくさんのパーカッションを伴った輝かしいスコア、それは、ムソルグスキー(‘ボリス’や‘子供部屋’サイクル(河童注:合唱曲))やラヴェル(‘子供と魔法’)やドビュッシー(‘おもちゃ箱’)による子供たちについてのほかの作品への言及を伴って重なるものだ。普通目立たない方法で。

舞台の効果なしで、オペラの魅力や不思議な雰囲気を全て表わすことはできないけれども、ナッセン氏の音楽は良い作品であることを証明していた。それは行儀の悪い子供たちのことに関係しているので、当然ながらいつも騒々しいものであり、抒情的な瞬間に不足している。その点において、それは当然の如くその時間の子供たちのことだ。

カレン・バーズレイによって突進するおてんば娘の役割を演じたこのオペラの悪がきマックスのように、ナッセンは大騒ぎすることで子供たちの喜びをあらわした。そしてそれはうまくいった。この成果を大いに助けたのが、キンボール・ホィーラー、ウィリアム.・シャープ、ケヴィン・ディーズ、クレイグ・ニム、ケニス・ベルらにより歌われた気難しくて文句をいうような感じの‘ワイルドなもの’彼ら自身であった。声は全てアンプを通している。スコアは舞台バージョンではそのようなリクエストを何も示唆していないが。

バーズレイ女史は魅力的なマックスであった。自分を崇拝し、‘ボリス’の戴冠式音楽の緊張感のように王に王冠をのせるような、恐ろしくワイルドなものを支配する幻想的な国に航海する子供のようだ。彼女のコスチュームはみごとに男のようだ、役の割には少しフォーマル(ディナー・ジャケットに赤いタイ)であるけれども。しかし、気にすることはない。彼女は笑われる様にはみえないソプラノの声をもった印象的な女優である。この役は彼女の才能のために書かれたように思える。

クラム氏の‘魅入られた情景’、不吉な予感で満たされた18分の作品は、バルトークの‘野外にて’組曲、の手法で夜想曲風に作られたものである。それは過去の作品でかなりしばしば彼が奮いおこしたムードの音楽である。作曲者によるプログラム・ノートによると、曲のタイトルは、地上の特定の場所がミステリーのオーラで満たされている、という感覚を反映しているものだそうだ。

(この項続く。)

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クラムとナッセン ホライゾン-13- 1984.6.7

2007-01-15 20:30:00 | 音楽

77

1984年のホライゾンもこの日を入れて残すところ二日間。

この日は、指揮者二人の登場である。

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198467()

エイヴリー・フィッシャー・ホール

6:45PM

What’s Score?

Meet the Composer

楽譜ってなに?

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8:00PM

NEW YORK PHILHARMONIC

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GEORGE CRUMB

  A Haunted Landscape(world premiere)

ARTHUR WEISBERG, conductor

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OLIVER KNUSSEN

  Where the Wild Things Are,

  Libretto by Maurice Sendak

  (U.S. premiere, complete concert version)

  Karen Beardsley, soprano

  Kimball Wheeler, mezzo

ZUBIN MEHTA, conductor

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ジョージ・クラム作曲

 魅入られた情景(世界初演)

アーサー・ワイズバーク指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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オリバー・ナッセン作曲

 ワイルドなもののいるところ

 (アメリカ初演、完全演奏会版)

 カレン・バーズレイ、ソプラノ

 キンボール・ホィーラー、メゾ

ズービン・メータ指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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近年における現代音楽の傾向かどうか知らないが、とにかくパーカッション・セクションがすごい。

巨大に膨れ上がった楽器とその数。

ただし、全てのパーカッションが同時に演奏されることはないので音量まで巨大になることはめったになく、むしろ音色の変化を求めているようだ。

クラムの曲は低音にある種のライト・モティーフのようなものをもたせ全体として、かなり統一がとれた作品である。

パーカッションの華やかさが、軽薄さにつながることなく、落ち着いた曲である。

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ナッセンの曲はいわゆる舞台形式のオペラである。これも膨大に膨れ上がったパーカッションに対抗するためかどうかは知らないが、歌い手の声は全てマイクを通してある。

いわゆる印象主義的な音楽傾向をもう少し推し進めたようなフレーズのかたまりであり、その歌の明確さとともに聴衆にはかなりうけた。

やはり声がはいり、そのせりふが聴きやすいということは聴衆の音楽に対する理解の第一歩となる。

現代の音楽で40分という時間を少しも飽きさせることなく聴かせるというのはかなり難しい作業だと思うのだが、ひじの手術後はじめて棒を振るメータ()も快調であり、音楽が引き締まっており、一瞬たりともだらけるようなところはなかった。

ナッセンは1952年生まれの大巨漢であった。

おわり

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注:ズービン・メータのテニスひじ

050 ズービン・メータのテニスひじ -1-

051 ズービン・メータのテニスひじ -2-

052 ズービン・メータのテニスひじ -3-

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1955年バイロイト ニーベルングの指環 カイルベルト

2007-01-14 20:01:00 | 音楽

リングのジークフリートの第3幕は、神々の黄昏に突き出ていると思う。特に目覚めの動機のあたりからはほぼがらりと変わる。

12幕の鉄火場、黒い森、あたりと様相が異なる。演出次第ということもあるが、舞台を見ながら聴くとなおいっそう、そう感じる。それまでの縦の移動が横の静止、そして展開。

ジークフリートは第2幕まで聴いて、一度自分の耳の幕を下げるべきではないか。そのあとリフレッシュして第3幕にはいるべき。などといつもは思っているのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。

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カイルベルトの振る1955年バイロイト音楽祭のステレオ録音のリング・サイクルを聴かないということは、クラシック・ファンをやめる、ということと同義語だ。

などと言うつもりはないが、聴かないてもない。

レコ芸の年間大賞のタイミングには神々の黄昏が間に合わなかったようだが、このたびめでたく出揃った。

ラインゴールド、ワルキューレをわりと連続的に聴き、ジークフリート第1幕の人間業とは思えない、ヴィントガッセンの声を聴き、立ち止まってしまった。

この押される圧倒的な迫力からほとぼりを冷ますには一週間の冷却期間が必要だ、などと勝手に頭がしびれた。

1幕後半は大車輪のような鉄火場オーケストラの火を噴く沸騰もかなりの聴きものではあるのだが、ヴィントガッセンのジークフリートは、まさしく恐れを知らぬ鉄の声帯をもつスーパーマンだ。アンビリーバブル。聴く方も休養が必要だ。

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一週間のほとぼり冷却期間を置き、第23幕に突入してみた。目覚めたヴァルイナイのブリュンヒルデの声帯にまたこちらがぶっ飛んだ。

たしかにワルキューレの第23幕で一度はぶっ飛んではいたのだが、連続視聴は可能だった。

しかし、寝て覚めたヴァルナイが本気モードで目覚めたらこっちは気絶悶絶状態。

ヴィントガッセン。ヴァルナイ。この二人、人間とは思えない。第3幕フィナーレの最高音最頂点音までもっていくエネルギー、芸術が肉体的エネルギーの快感に変わる瞬間、アンフォアゲッタブルだぁぁ。

さすがに最後の頂点音をヴィントガッセンはオクターブ下げているように聴こえるけれども、それをおぎなって余りあるヴァルナイのブリュンヒルデ馬力。人間ではない。

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「ワーグナーの音」のようなものを、リングの場合では、神々の黄昏第2幕の冒頭のコントラバスによる本格的低音の織りなす響き具合で、これこそが、ワーグナーの音、などと感じたりする。しかし、1955バイロイトはジークフリート第3幕までしか聴いていない。凍結状態だ。

ワルキューレ第1幕終結のジークムント、ジークリンデのあとオーケストラがもつれたりしても、芸術の表現は表面的に磨かれた技術のレベルを競うものではないのだよ、もう一つの観点があって、意志の表現方法はこのようにやるもんなんだよ。とカイルベルトが言っているように聴こえる圧倒的説得力に負かされながら、それでも本格的なワーグナーの音に出会うためには、このジークフリートの第3幕まで待たなければならない。こなれた非常にいい響きになってきた。

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ということで、

ヨーゼフ・カイルベルト指揮

1955年バイロイト音楽祭

ニーベルンゲンの指環

実況生中継

は買って聴いてのお楽しみ。

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テスタメントに一言苦情。

画竜点睛を欠く。

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音楽の流れをCD収録時間のからみでぶった切る暴挙。について。

ラインゴールドは2枚で問題なし。

ワルキューレは第2幕を2枚にしているだけで問題なし。

神々の黄昏は、プロローグと第1幕を2枚に収録。あとは問題なし。

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フランスものブーレーズ他の評 ホライゾン -12-

2007-01-13 22:30:00 | 音楽




1984.6.6のホライゾン(動き回るドラッカー ホライゾン-11- 1984.6.6)の評が翌々日のニューヨーク・タイムズに載った。

1984.6.8
Concert: Horizons 1984 By ALLEN HUGHES
1984年6月8日(金) ニューヨーク・タイムズ
アレンさんの評

水曜日夜、エイヴリー・フィッシャー・ホールで、ニューヨーク・フィルハーモニックによるホライゾン1984にフランスが立ちはだかった。
この日の4人の作曲家のうち3人がフランス人であり、そのうちの一人ギルバート・アーミーが棒をとった。
この日の大勝利は、既にある種‘古典’として成功している16年前のフランスの新作である。それはピエール・ブーレーズの‘Domaines’である。
しかし、それに先立って演奏された曲もまた重要なものであった。
それらは、ベッツィー・ジョラスの‘Quatre Plages’、アーミー氏の‘Shin’anim Sha’ananim’(玉座の天使)、ジョージ・ウォーカーの‘Serenata’である。ウォーカー氏は、もちろんアメリカ人であるが、去年から手掛けた彼の作品は、この中では一番新しいものである。

‘Domaines’は、真に創造的な才能が、最も因習にとらわれない虚飾のテクニックとスタイルを通して感じたもうひとつのことを提示してくれる。
この作品では、ブーレーズ氏は6つの楽器群を作った。それは、あるときは歩きまわるソロ・クラリネット(このコンサートではスタンリー・ドラッカー)を伴い、ステージに散らばったりペアになったりする。
さらにブーレーズ氏は、ソリストと指揮者にオプションを与えた。そのオプションというのは、ソリストとそれぞれのグループが演奏する順序を決めるというものである。数学的確率は、‘Domaines’の二つの演奏に対して、正しく同じものとして響く。
‘Domaines’全演奏者にとって、書かれたパートは異なるものである。しかし、もちろん、それらは、多種の混乱した音の特別な強調を伴ったある種メモ書きのように、普段着の聴衆の心には聴こえる。これがだいたい30分継続する。
それはつまらなく退屈であると思われたかもしれない。しかしとんでもない。そんなことはなく、時間が経過し音楽が進むにつれ、聴衆はだんだんと理解が深くなり、音色、リズム、メロディーの意図するところにだんだんと反応をみせてきた。さらに、ついには、最後の部分においては、魅力的な家族の訪問が、予定し望んでいたよりも少し早く断ち切られたような感覚を味わうに至った。

ウォーカー氏の‘Serenata’は、何かリヒャルト・シュトラウスに負うところがありながら、それにもかかわらずやはり同じようにロマンティック気味な観点で、よく練られたしっかりしたオーケストラ作品である。ウォーカー氏の比較的保守的な音楽が、より冒険的なブーレーズ、ジョラス、アーミーの作品と並べてみると耳障りなところがなく受け入れられやすい、というのがこの演奏会で一つ良かったことである。
アーミー氏の音楽はこの日、最もエキゾティックで官能的なものであった。それは、11世紀のスペインユダヤ神秘主義者のSolomon Ibn Garirolによるヘブライの詩を伴ったもので、1979年に書き始められたものである。3人のソリストは、メゾソプラノのダンナ・フォーチュネイト、チェリストのエリック・バートレット、クラリネットのアナンド・デヴェンドラ、それにアンサンブルはSpeculum Musicaeであった。ヴォーカル・ラインは自由にベルクの雰囲気をもち(もちろん、アルバン・ベルクのこと)、それでいて、チェロとクラリネット・ソロは両方とも、しばし、恍惚状態になる。多々の結びつきの良くない器楽編成にもかかわらず、そのスコアは基本的に複雑にはみえない。どのような場合も聴きやすいものであった。
1968年に書かれたジョラス女史の作品は、明らかにこの日一番アカデミックなものであり、最も魅力的でなかった。‘plage’というのは普通、フランス語で‘beach’を意味している。しかしここにおいてはそのようなことは意味していない。プログラム・ノートによると、それは‘特定な型の音響構築によって占有された時間の一部を指示すること’らしい。この作曲家は新鮮なソノリティーを達成するために弦楽器をグループに分割した。女史は自身のしたいことを成功させたかもしれない。しかし、結果はコンサート作品としてはアピールが足りないものだった。
おわり


トスカニーニ 称賛イベント2007.1.16

2007-01-12 21:01:00 | 音楽

1_72

116日はこのイベントの続き。

159 トスカニーニ・レガシー レクチュアとパネルディスカッション 2007.1.8月曜6時

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ニューヨーク・フィルハーモニックとシンフォニカ・トスカニーニによる、

ジョイント・ゲイラ・ベネフィット・コンサート

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2007116()7:30PM

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ルネ・フレミング、ロリン・マゼール、そして、ニューヨーク・フィルハーモニックと、伝説のマエストロ・アルトゥーロ・トスカニーニ(1928-1936フィルハーモニック常任指揮者)をたたえたイタリアのシンフォニカ・トスカニーニ、の、がちんこによる素晴らしい夕べ。

売上はニューヨーク・フィルハーモニックのアルトゥーロ・トスカニーニ・チェアの設立に使う。

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・シュトラウス ドン・ファン

・レスピーギ ローマの松

・プッチーニ/チレア/ロッシーニのアリア

・チャイコフスキー

  フランチェスカ・ダ・リミニ

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ルネ・フレミング、ソプラノ

ロリン・マゼール指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

シンフォニカ・トスカニーニ

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ということで、ローマの松は、なんとなくトスカニーニのイメージ。

アリアはフレミング用。

チャイコフスキーはマゼールが好きな曲。

このレンジの曲であれば、同じくチャイコフスキーのロメオとジュリエットの方が好きだが、マゼールはこっちなのだろう。

ドン・ファンはオーケストラ用かな。

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1928-1936の在任期間はジョン・バルビローリの前。

トスカニーニもバルビローリもフィルハーモニックに関しては録音はあるものの、当然モノフォニック。

そんなに悪い音ではないが、限界あり。

残念だ。

トスカニーニは、在任期間後のNBCでの活躍の印象がものすごいので、ニューヨーク・フィルハーモニックの方はどうしても影が薄くなる。

しかし、没後50年、トップオーケストラがこうやって敬意を表す。

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動き回るドラッカー ホライゾン-11- 1984.6.6

2007-01-11 21:20:00 | コンサート・オペラ




今日のホライゾンはニューヨーク・フィルハーモニックの演奏である。
前回出てきたのが6月2日なので、たった4日しかたっていないのに、なんだか4年ぐらい過ぎたような気がする。

1984年6月6日(水)8時
エイヴリー・フィッシャー・ホール

ホライゾン’84 プログラム Ⅲ

BETY JOLAS  Quatre Plages (アメリカ初演)

GEORGE WALKER Serenata for Chamber Orchestra (ニューヨーク初演)

GILBERT AMY Shin’anim Sha’ananim (ニューヨーク初演)
 Speculum Musicae
  D’anna Fortunato, mezzo
  Eric Bartlett,cello
  Anand Devendra,clarinet

PIERRE BOULEZ  Domaines
 Stanley Drucker, clarinet

ギルバート・アーミー指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

あまり印象に残らない音楽の多い中でブーレーズの作品は一味違う。
偶然性を志向した音楽は、その視覚的なものも含めて、興味深い。
ステージを上から見ると、





A、B、C、D、E、F、は楽器群である。

AからFまでの楽器群の位置は固定であるが、クラリネットのソロがそれぞれの楽器群の隣で演奏したあと、そこの楽器群が演奏しなければならない。
順番は全くの偶然による。
実際には、
クラリネット→A

クラリネット→C

クラリネット→F

クラリネット→B

クラリネット→E

クラリネット→D
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クラリネットは次々と歩いて位置を変えなければならない。
最後のD群が演奏し、今度は指揮者が任意に楽器群を指定して、そのあとにクラリネットがついていく。
たしか、
D→C→クラリネット→E→クラリネット→F→クラリネット→B→クラリネット→A→クラリネット
の順番だっと思う。
従って、クラリネットは11回演奏しなければならない。
曲の流れは全くの偶然によるが、各楽器群とその楽器群と組み合わせをもったときのクラリネットは関連性のある統一のとれた音楽となっているので不自然な気はしない。
この曲はそんなに最近のものではないので、このごろのブーレーズだったらもっと違った傾向の作品を書いているのではないかしら。(吉田秀和風)
スタンレー・ドラッカーのクラリネットはさすがというべきか。
このような難曲で、かつ、30分強の曲をわけもなく吹きこなしていたとしか思えない。
おわり

 


164- 拍手がこない!!クナのブル8

2007-01-10 21:21:00 | 音源



昨年2006年11月頃、ドリームライフからでたクナのブル8を買った。平林さんプロデュースでCDの作りも、見た目、きっちり。

ブルックナー 交響曲第8番
ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮 ミュンヘン・フィル
1963年1月24日 ヘラクレスザール ライブ
DREAMLIFE DCLA-7011 \2,400 (2枚組)

ウェストミンスターのデッドな響きのスタジオ録音によるブル8と同月のライブである。
演奏の詳しいところは、いつもながら、買ってのお楽しみ。
音楽的呼吸としては、オケ・メンバーのほうで、
「いつでも来い、即興!」
といった心の余裕が感じられる。
また、同時期のスタジオ録音用の練習のせいか、味付けが意識的に濃い部分がある。譜面的には指示しなければ、決してされそうもない味わいの部分があり、余裕の音響空間と思わぬ細やかさが同居した自由自在の演奏。
平林さんによる解説は、いつもどおり、誠意あるディテールの深さ、が印象的。また歴史ものに対するスタンスが明確なのもよい。
このライブとスタジオ録音どちらかを選択するか、プロデュースしてるだけに迷うことだろう。河童の究極の選択としては、このモノラル・ライブではなく、やはりステレオ・スタジオ録音をとるか。まぁ、優劣を比べるような話でもない。ティンパニの濃いニュアンス、終楽章展開部におけるハッとするようなポーズ、等々、聴きどころ満載の演奏。

それで、クナのブル8は、第4楽章フィナーレの最後の押しの、だめ押し3連発もつつがなく終わり、まるごと収録されているわりには最後の拍手はカットかぁ、などと少し不満をいいつつ、おもむろにCDプレイヤーから取り出そうと立ち上がった。
そのときだ、なんと。。
こんなにあいていいのか!
おわり

新しい技法は希望? ホライゾン-10- 1984.6.5

2007-01-09 21:01:00 | 音楽

ホライゾン1984年。

今日のテーマは、

“THE NEW VIRTUOSITY”

新たな音楽技法。

といったところか。

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198465()

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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6:00-7:30PM

Pre-Recital Discussion

“The New Virtuosity”

リサイタル前の討議。

新たな音楽技法。

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8:00PM

DEAN DRUMMOND Columbus

  Play, Newband

JOAN LA BARBARA

Silent Scroll:An Image of Entropy

Joan La Barbara, soprano with Newband

DEAN DRUMMOND Mysteries

  Play,Newband

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JOAN LA BARBARA

October Music:Star Showers;

And Extraterrestrials After Obervogelsang

(世界初演)

Joan La Barbara, soprano(with electronics)

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ROBERT DICK

Piece in Camelan Style T=C10

  Clipse from the Blimpse

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MARTIN BRESNICK Conspiracies

  Robert Dick,flute

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SALVATORE MARTIRANO

  Improvisation with the Sal-Mar Construction

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ディックのT=C10は実際には、

イコール記号が波打ち、↑はCの10乗のこと。

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ほぼ、わけがわからなくなってきた。

とりあえず、作曲者の名前だけでもカタカナで。

ディーン・ドラモンド

ジョアン・ラ・バーバラ

ロバート・ディック

マーティン・ブレスニック

サルバトーレ・マルティラノ

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新たな音楽技法、技巧がどのようなものであったのか、またそれはその時点でどのような意味をもち、未来に継承されたのか。

知るすべがあるならおしえて。

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タイムマシンがあったとしても、そこに立ち寄りたいと思うかどうか。

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明日のブーレーズに、さらに、期待しよう。

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地平線は見えてくるか ホライゾン-9- 1984.6.4

2007-01-08 21:01:00 | 音楽

1984530()から始まった‘ホライゾン1984’はようやく折り返し。

普通のシーズンであれば、サブスクリプション・コンサートが終盤を向かえている。

68日までまだ先が長い。と思うのは現代音楽だから?

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前日の63日はコンピューターと室内音楽。

今日はコンピューターとオーケストラ音楽。

考え抜かれた企画性を感じる。

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ということで今日はこんな感じ。

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198464()

エイヴリー・フィッシャー・ホール

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6:45PM

楽譜って何?

Meet the Composer

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8:00PM

コンピュータとオーケストラ音楽

MILTON BABITT Correspondences

CHARLES WUORINEN Bamboula Squared

                       (世界初演)

ROGER REYNOLDS Transfigured Wind

            (世界初演)

     Harvey Sollberger, フルート

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CHARLES WUORINEN 指揮

アメリカン・コンポーザーズ・オーケストラ

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作曲者だけでもカタカナにしてみると、

ミルトン・バビット

チャールズ・ウオーリネン

ロジャー・レイノルズ

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オーケストラ・サウンドにコンピューターによる電気的な音がはいりこんだらどうなるか。

今の時代、普通。

原型のうちの一つのようなものだったのかもしれない。

世界初演が二つといっても、多分にこのような企画の場があるからできることもある。

でも、本質の順序は逆であるはずだ。

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時代の流れのなかにある音楽として、この企画を聴いていけば長丁場の10日間も肩がこることもなく聴けるのかもしれない。

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もっとはまるにはこんな本もある。

アメリカ実験音楽は民族音楽だった

9人の魂の冒険者たち

フィルムアート社

200522日初版

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スラットキン1984.6.2の評 ホライゾン-8-

2007-01-07 21:28:17 | 音楽

33

これの続きです。

148 ニュー・ロマンティシズム ホライゾン1984-1-

149 ブルーノ・ワルター・オーディトリウム ホライゾン-2- 1984.5.30

150 ヘンツェ ペンデレツキ 両方自作自演 ホライゾン-3- 1984.5.31

153 ヘンツェ ペンデレツキ の新聞評 ホライゾン-4-

156 三日目 シンポジウム+リサイタル ホライゾン-5- 1984.6.1

157 スラットキン 共感の棒 ホライゾン-6- 1984.6.2

158 日曜日はコンサートだらけ ホライゾン-7- 1984.6.3

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198462日のスラットキンの評が翌々日のニューヨーク・タイムズに載った。

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THE NEW YORK TIMES

MONDAY, JUNE 4,1984

By WILL CRUTCHFIELD

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198464()

クラッチフィールドさんのレビュー

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ロバート・ビーザー、テア・ムスグレイヴス、ドナルド・エルブによる、世界初演、アメリカ初演、ニューヨーク初演、はニューヨーク・フィルハーモニックによる現代音楽フェスティバル‘ホライゾン1984’の土曜一回分の支払いは重いものとなった。

ビーザー氏の‘The Seven Deadly Sins’は伝統的な感覚のソング・サイクルである。

アンソニー・ヘヒトによる7つの謎めいた詩はバリトンにより歌われる。

その言葉は、サポートしている伴奏とともに、イラストとコメントで理解可能と思われる。

ビーザー氏の大ぶりなクレジットによると、土曜日初めてとなったオーケストラ・バージョンでは、アンプなしで、かなり強大な声(この演奏会ではJan Opalach’sが歌った)で歌わなければならない。この日はそのように聴くことが出来た。

Opalac’s 氏はやすやすと広音域をカバーし、確信と変化をもって歌った。

音楽は調性があり、ときに豪勢である。

この曲は聴衆に次のような反応を喚起した。つまり、誰かが言っているところの、ビーザー氏も括られている‘新・調性作曲家’は、初めからそれを作曲している人たちより、しばしばもっと技巧的で興味深い調性音楽を書いている。

それにもかかわらず、このスコアはなにやら説得力がなかった。あまりに多くの注釈と連想、‘私の音楽はこのように鳴る’には不十分。ある曲の終結部における主音の味わいは特に失敗のように響いた。

テア・ムスグレイヴ氏の音楽は常に彼女自身のように響く。‘ペリペテイア’は彼女の素晴らしい一連の‘劇的抽象的’な楽器の作品におけるもうひとつのものである。そのなかにあっては、音楽的出来事は極めて明確に演奏議論の質というものを受け入れている。それに楽器はときに性格(説得すること、挑戦すること、変化する忠誠心)のように振舞う。彼女が作曲するときの音楽テーマはしばしば一連のごく普通のものである。小さな音階、いたずら書き、繰り返される音符、短いリズミカルなモチーフなど。

リズムの複雑化はほとんど避けられているが、全て、抒情性を取り払うことさえ、休むことないリズムの動きの波に耐え続けている。

‘ペリペテイア’というのは、大まかに言うと、劇的なターニング・ポイントを意味している。それは、明るい開始の音楽の反復をとめた打楽器の爆発で表現している。その後、楽器はまだしばしば快活に演奏し続ける。しかし、小節のコントロール統一は取って代わられ、流れは決してもとに戻ることはない。分裂の感覚とあいまいさはあとのページにいきわたっている。この聴衆は、音楽劇(それはムスグレイヴ女史のほかの作品のなかにある)において何かもっとリスキーで脅迫的な観点で、願望を定義することは困難であると感じた。しかし、‘ペリペテイア’は充実した、魅力的で面白い作品である。

ドナルド・エルブの‘プラズマティック・バリエーション’は‘輝きと透明なサウンドでホールを満たし’ゴージャスにそうすることを意図したものである。オーケストラがフル・レンジで展開される。ハイでクリアな響きではなく、バランスの方を重視している。ホールには、約100人のベルゲン・ユース・オーケストラ団員が散らばっている。彼らは、ハーモニカ、クリスタル・グラス、電話音、ソーダ・ボトルなどの音を鳴らす。ステージ上のオーケストラが大きな音になるとだいたい彼らはそれらを鳴らす。明瞭な音色のまとまりとしてというよりも、付け加えられ、拡張された光輪のように聴こえた。指揮者レナード・スラットキンが、音楽が始まる前に子供たちを聴く機会を聴衆に与えなければ、それを決して望まなかった人たちがいたかもしれない。ソーダ・ボトルは特に筆舌に尽くしがたい誘惑的なサウンドを醸し出していた。そして、ときとして、その作品は全体としてそうであった。音楽の題材はそれ自身取るに足らないように見える。しかしおそらく、きれいな騒音というものが、この作品の本質である。音符とリズムを包括したメッセージの手段というよりもメッセージそのものがこの作品の本質。

ほかにプログラムにはクリストファー・ラウゼの‘インファーナル・マシーン’があった。オーケストラのためのdissonant moto perpetuo ということで、とても楽しいものであった。エリオット・カーターの金管五重奏曲は、この日に演奏したアメリカン・ブラス・クインテットのために10年前に書いたもので、なんだか古典的な感じだ。

評おわり

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ネトレプコの清教徒 METソールド・アウトか!

2007-01-06 23:14:45 | 音楽

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ネトレプコがメトで清教徒(イ・プリターニ)のエルヴィーラを歌う。

ああ、

聴いて観てみたいみたいみたい。

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2007

16()

111()

25()

28()

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メトロポリタン・オペラ・ハウス

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そういえば、

昔、こういうのがあった。

007 ベリーニ イ・プリターニ 日本初演

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トスカニーニ・レガシー レクチュアとパネルディスカッション 2007.1.8月曜6時

2007-01-05 12:30:00 | 音楽

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ニューヨーク・フィルハーモニック

インサイト・シリーズ・レクチュア

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不滅の代理者?

アルトゥール・トスカニーニ伝説

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Walter Reade Theatre

ジュリアード音楽院のとなり

リンカーン・センター

ニューヨーク

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チケット 10ドル

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アルトゥーロ・トスカニーニは、放送と録音を通してアメリカにクラシック音楽を広めた伝道者、偉大な作曲家の忠実な伝道者であったのか?

それとも、古今を通じて最も偉大な指揮者としてトスカニーニの名声は、結果的にはアメリカにおいてコンサート生命を縮めたのか?

「アンダースタンディング・トスカニーニ」の著者ジョゼフ・ホロヴィッツと「アルトゥーロ・トスカニーニ」の著者モーティマ・フランクの生の討議に参加してみてはどう?

トスカニーニNBC時代の偉業のヴィデオ、オーディオ・クリップなどもあり。

アメリカのシンフォニー・オーケストラ連盟の会長兼CEOであるヘンリー・フォーゲルが司会進行役をします。

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1月16日にはルネ・フレミングとシンフォニカ・トスカニーニが「トスカニーニに捧げる」演奏会を行います。

このイヴェントは、1928年から1936年までニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督であったトスカニーニの没後50周年記念の催しです。

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ということで、

参加してしてみたいが、

現地の方でどなたか聴かれるかた、

おりましたら、

その内容を教えていただけたらうれしいですね。

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冬休み写真集-7- セントラル・パーク

2007-01-04 21:30:00 | 音楽

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セントラルパーク南から北をとってます。

当時のRCAビルディングからとったもの。

右側セントラルパークとビル群のふちの道路が、

フィフス・アヴェニューの延長です。

セントラルパークは河童のチャリで一周25分。

北の端はハーレムにかかっているのでちょっと勇気がいります。

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