河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1595- ドン・カルロ、二期会、デイヴィッド・マクヴィカー演出、ガブリエーレ・フェッロ指揮、都響2

2014-02-20 01:36:41 | インポート

2013-2014シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
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2014年2月19日(水)6:30-10:40pm 東京文化会館
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ヴェルディ作曲
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デイヴィッド・マクヴィカー、プロダクション
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ドン・カルロ
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 ACTⅠ25′
 ACTⅡScene1 15′ Scene2 45′
 ACTⅢScene1 18′ Scene2 20′
Int25′
 ACTⅣScene1 40′ Scene2 17′
 ACTⅤ25′
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キャスト(in order of appearance)
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エリザベッタ 横山恵子
ドン・カルロ  福井 敬
テバルド  加賀ひとみ
レルマ伯爵  大槻孝志
ロドリーゴ  成田博之
エボリ公女  谷口睦美
フィリッポ二世  伊藤 純
宗教裁判長  斉木健詞
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6人の代議士  岩田健志 勝村大城 佐藤 望
野村光洋 門間信樹 湯澤直幹
天よりの声  湯浅桃子
修道士  三戸大久
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二期会合唱団
ガブリエーレ・フェッロ 指揮
東京都交響楽団
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このオペラ、巨大な作品であることが良くわかりました。二期会、オーケストラ、キャスト、プロダクション、それぞれがハイレベルにあり作品の深さを見事に表現できており感心感動!!まず語られるべきは作品そのものであることは言を俟たないが、ただやればいいというものでもなく、ヴェルディ精神世界に浸るにはこのような裏付けが必須とあらためて認識しました。
そのうえでの話です。
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5幕8場もののロングオペラを3幕5場の2時間と、2幕3場の1時間20分にぶった切って休憩は25分の1回だけ。演出だとしてもしなくても無謀な暴挙に近い。心地よい疲れではなく疲弊が色濃くなる。じゃぁ、ワーグナーはどうなんだという話になるかと思いますが、あれはほぼ必ず2回休憩があります。それも1回あたり30~40分ぐらい。休憩して弛緩して緊張感を再度高める時間がある。なにをそんなに先を急ぐのか?バックステージストリー、諸事情はあるのかもしれませんが、それはどこの世界でも存在している。言訳でなく理由なら実務的にどこかに掲載してもいいと思うのだが。
次回からはこのようなことはしないで欲しい、改善願います。
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この舞台は緞帳が一回もおりない。紗幕があるわけでもない。幕、場、の転換、切り替えのところで暗くなるだけ。また明るくなって同じような舞台が現われる。最初から最後までベースは同じ。棺桶か墓石のようなものが上下したり、あと牢のイメージがあったりするが、8場全部同じで、幕というより単純な場面転換の連続で8シーンあると思ったほうが良い。ロシアものでボリスとかイーゴリ公、戦争と平和、等々、シーンを変えていくパターンに近い。また、舞台の動きのなさは何年か前にみたゲルギエフ&キーロフのリングサイクルのような感じで同じ場面が長々と続く。昨年見たホモキのフィガロのような光の妙も強調されていない。
結局観るべきは時代考証がなされた衣装や髪形など。動きの中にときおりあるストップモーションが衣装と相まって美しく舞台に映える。あとはフェッロのゆっくり目のテンポの棒のもと、充実した響きのオーケストラで持たせるしかない。聴衆はアクティブになる必要があるので緊張を強いられる。したがって聴くべきは歌なのであって、演出によって一人ずつ聴衆にさらされたなかで歌いきるのは並大抵のことではない。持っている力がすべて丸裸となる。こわいオペラではある。
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この日のタイトルロールは個人的にはあまり好みの声ではない。自分の持っているイメージより声の幅がありすぎてちょっと乾いた昆布みたいなゴワゴワ感覚。強靭だがとりたてて厚いわけではなく横への広がりがありすぎで噛みづらい、そんな感じ。ときおり聴かせてくれる美しいビブラートはもしかしてあまり目立っていないのかもしれない。高いほうは少し苦しいかもしれない。安定感は抜群でそれ自体大変な実力で、カルロをこのように堂々と歌いきれる歌手は日本人では稀有なのだとは思う。
このタイトルロール氏については、文句を言っている割には結構聴いていて、直近では昨年の琵琶湖と神奈川でのワルキュール、年末の第九。全部体当たりの歌は好感を持つのです。
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今回たぶん初めてドン・カルロを真剣に聴いたような気がする(自分)。他のヴェルディオペラとはかなり異なっている。リズムの踊りが少ない。音楽は弾むところが少なく、それこそ昆布のように、友禅染のように、渋くシームレスに流れる。
舞台でこうやって音楽を聴くと一番印象的なところは一番初めにあると。遠い響きからの音楽は導入もへったくれもなく、いきなりストーリーの核心に迫っていく。精神世界を、余裕を持って描くようになった作曲者が、形式を軽く乗り越えた瞬間であろう。
だから、このオペラにいきなり没頭してしまえる人は、シモン・ボッカネグラの場合と同じく、うらやましい。
ストーリーは拡散型で完結して終わるものではなく、本当に最後は思考宙ぶらりんであって気持ちの整理をどこでつければいいのかと思ったりするのだが、では、最初から最後までのこの緊張感はなぜなんだという別の自問自答も出てくるというものだ。
場切りの悪さは置くとしても、ストーリーテリングの妙とも違う、音楽の持つ緊張感が外に向かって放射されている。だから、歌とともに演奏のレベルや質も問われることになるのかもしれない。
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タイトルロールの歌は秀でたもので、真剣シリアスなスタイルも嫌味が無く好感が持てる。取り巻く歌い手は、役柄をそつなくこなしている。ハイレベルに高止まり。バランスの良いものでした。
当公演のメインである二期会の合唱についてもハイレベル。人数が少ないのか、演出による配列が良くないのか、ときおりアンサンブルの隣同士が離れすぎていて、これはこれでうまくいくと絶品になるのでしょうが、個別のザラザラ感が聴こえてくるようなところも少し見受けられたように思います。
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伴奏オケの都響は出色の響きで、彼らにしてみればいつも通りという話かもしれないが、他の在京オケではなかなか出ない心地よいヴェルディサウンドを堪能しました。このオペラではゴツゴツ感ではなく美しいシームレスな流れも必要ですから。
休憩後の第4幕冒頭のチェロソロは美しいものでしたが、休憩明け直後だというのに、この幕で少し疲れが出たように思いました。このオケにしては珍しく縦の線が乱れ気味で。
2場から持ち直し、第5幕は最初と同じぐらい良い響きになっていたと思います。
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いろいろありましたが、結局、
この偉大な音楽を前にして、あっちがいいとか、こっちが悪いとか言っても意味がない、ヴェルディの音楽を表現した全員に賛美の拍手100%♪
おわり
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PS
演出補の女性の方、ステージに現れました。


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