河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2698- 皇帝、ブラウティハム、アダムズ、ハルモニーレーレ、エド・デ・ワールト、N響、2019.5.11

2019-05-11 21:37:44 | コンサート

2019年5月11日(土) 6pm NHKホール

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.73 20-11+11
 ピアノ、ロナルド・ブラウティハム

(encore)
ベートーヴェン エリーゼのために  3

Int

ジョン・アダムズ ハルモニーレーレ(1985)  18-14-11


エド・デ・ワールト 指揮 NHK交響楽団



ハルモニーレーレは初めて聴いた時はよくわからなかったが今回はうまく曲をとらえることが出来た。
初演指揮者が振るアダムズの作品、N響のサウンドははっきりと覚醒していて、ブラスのブレンドの見事さとストリングの鮮やかな輪郭、そして多彩なパーカッションセクションの粒立ちの良さ、どれもこれも見事なもの。立体感があってカツ彫りの深い演奏、コンセントレーションの高さが音楽の濃度を限りなく高めている。

3部構成、副題の無い1部が一番規模が大きく、2部3部と凝縮されたように広がりが垂直になっていく。
冒頭、威嚇するようなブラスの連続スタッカート、それとグラスのミニマル風なシンコペーションが電波のように振動を繰り返す。なにかデジャビュ的でそれはいい思い出なのかもしれない。心地よい音楽が最初からとらえて離さない。
中間部の静けさを経て冒頭の音楽に舞い戻る。20分近くかかる1部、音の動きの魅力、それとオーケストラの技量の見事さが聴く耳を離さない。この立体感、濃さ。音の波が時間変数によって積分されていく。

次の2部には副題がついている。アンフォルタスの傷。即座にパルジファル全面に塗りこめられたシーンの数々を思い起こす。アダムズの音がここでは概念の中を手探り始めたのかもしれない。進むと2回の強烈な咆哮。その2回目はマーラーの10番アダージョ楽章大詰めでのトランペットの持続高音そのもの。ワーグナーのパルジファルからマーラー未完の10番へ。何も知らなくても峻烈な説得力ではある。

終部マイスター・エックハルトとクエッキー、この副題は何もない1部よりもイメージが掴み辛い。まあ、解説を読めばなんとなくわかる。
ゆっくりと始まる。下降旋律を繰り返す。だらりと何かにぶらさがっている様だ。進むにつれて気がつくといつの間にか速度を上げ始めてのこぎり模様の波形が前面に出てくる。美音のブレンドブラスと弦の強烈なギコギコ弾き、それに空気をめくるようなパーカッションの打ち込み。全部混ざって上昇に上昇を重ね最高潮に。40分間じわじわと積み重ね上げたクライマックスのカタルシス、フィニッシュは判を押したような圧倒的なエンディング。初演指揮者もプレイヤーも聴いてるほうも、どうにも抗えない腕捲り状態の、このやりごたえ感。三位一体で手応えを得るものでお見事な作品ですね。
なんだか、工事中のビルの縦にセットする鉄板を横にして上に運んでいる様子のような全体聴後感。満足しました。


ブラウティハムは以前、リサイタルで聴きました。
2273- ロナルド・ブラウティハム、ピアノ・リサイタル、2017.2.7

今日はNHKホールでのコンチェルト。それなりの席で聴きましたけれども、音が来る前に拡散してしまう。拡散してしまった音を拾って聴く感じ。それにダイレクト音が混じる。程よい拡散が心地よいエコーとなりホールが満たされる、には、程遠い。NHKホールは席を選べばそれなりの音質、響きで音楽を楽しめる。ですが、ブラウティハムを満喫するには条件がさらに狭まると思う。息づかいの振動が伝わるところが最良。
それでもなんとか。
細めの音列がねじれながら飛ぶ鳥のような声となり絡み合い、絶妙な節回しの味付けの中、音同士がぶつかり合うことなく隙間なく埋まっていく。音楽は緩急や間断で作るものでもなくて鳴り続けなければならない。持続する音楽をものとする演奏の説得力。
モダン・ピアノとフォルテピアノ、扱いがどうなのか素人には全く分からないものだけれども、今日のエンペラー、極意の片方を見せてもらった気になった。
ソロでのアンコールに舌鼓。端正と言えるもので、それが持つ説得力がストレートに伝わってくる。大したものですね。うなるばかりなり。
ホールの事はあれ、結局のところ、堪能しました。ありがとうございました。
おわり










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