河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1803- サーリアホ、Cl協、ニールセン、Sym.No3、ダウスゴー、都響、2015.5.29

2015-06-02 01:26:03 | コンサート・オペラ

2015年5月29日(金) 7:00pm サントリー

サーリアホ クラリネット協奏曲 35′
  クラリネット、カリ・クリーク

Int

ニールセン 交響曲第3番 12′9′5′9′
  ソプラノ、半田美和子
  バリトン、加耒徹

トーマス・ダウスゴー 指揮 東京都交響楽団


クラリネットの動きから直感的に思い起こすのがブーレーズのドメーヌ。
サーリアホのクラリネット協奏曲は、管理された意識下の偶然性を追うようなところは無い、というよりもそのような範疇には属さない音楽のようですけれど、オーケストラ配置や動きを入れたクラリネット奏者などを見ていると表面(おもてづら)は真似のように見える。
音楽の表現手段や方法といったあたりのことではなくて、あくまでも物語からの霊感イメージの描写、ブーレーズの世界とはまるで異なるのですが見た目はそんなことも無い。
閃きが感じられないし、通り過ぎていく曲だと思います。

(コメント)
動き回るドラッカー ホライゾン-11- 1984.6.6

フランスものブーレーズ他の評 ホライゾン -12-


後半のニールセンは宇野功芳に言わせれば、表面的効果をねらった中身の無い、と言ったところだと思うが、それは指揮者やオーケストラの演奏のことを言っているのではなく、曲そのもののことと宇野さんのセリフを個人的に流用させてもらいます。本当に表面的効果を狙いすぎていて、中身が無いというのは、つまり、構造を作ろうとしている意思が見えるけれどもうまくいかない、そういう曲だということで、作曲者の限界が見える、演奏がこのように良ければ増して空虚な響きとなる。
構造が弱く、音が派手、という話で。
おわり

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