河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

ザンデルリンクのマーラー10番 河童VSヘナハン第3ラウンド

2006-08-03 00:57:58 | 音楽

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ザンデルリンクのマーラー10番の内容はどうだったのか。河童のようにそのサウンドをはじめて聴く人が圧倒的に多いわけで、演奏そのものよりも現実化したサウンドに対する喜びのほうが大きい。

河童のライバルである音楽評論家ヘナハンも同日の演奏を聴いたようだ。この二人の感想やいかに。6連発公演の初日である。

1984-01-05 Thur 8:00p.m. Aery Fisher Hall

Mahler Symphony No.10(by Deryck Cooke)

Kurt Sanderling, conductor

New York Philharmonic

198415()20

エィヴリー・フィッシャー・ホール

マーラー 交響曲第10(デリック・クック版)

クルト・ザンデルリンク 指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

河童の初生聴き感想。

年が明け、非常に貴重な生演奏体験。なんとも名状し難い雰囲気。

知っているのは第1楽章のみであり、他の4楽章については全く知らない。

ここで演奏されたクック版には何か「マーラー的」なものを感じ取れたと思う。

少なくとも、例えばベートーベンのこのような演奏・曲目があったとして、それよりは抵抗感なく受け入れられるのではないか。

たまに味付けが濃くなる時があり、特に第5楽章などは旋律自体が歌いすぎているような箇所が見受けられる。 9番を知る身としては、ちょっと受け入れがたいと言うか、第9番のあとにあのような節は作りえないと思ったりもする。

1楽章、構造自体は問題なし。しかし、メロディーがごつごつしていてつながりがよくないと思う。ブルックナー第9番からの引用があり、そのこと自体が違和感あり。

聴衆も今日は特に落ち着きがなく、それが感染したのかオーケストラもなんとなくそわそわしている。木管と金管の音程が微妙にずれ、ちょっとふやけるようなところがあり、またホルンなども難しそうであった。

2楽章のスケルツオは、第9番のスケルツオよりはまし。ここから未知の世界へ。

3楽章は普通。

4楽章と第5楽章の境目がよくわからなく聴いていて戸惑った。

あの強烈なバスドラム衝撃はどっちの楽章に属しているの?どんな意味を持っているんだろう。不思議な曲。

スケルツオが二つあるというのもわけがわからず、とにかく何がなんだかわからない。この曲はあさってもう一回聴く予定。もう少し真剣になって聴かなくては。

おわり

河童の感想はこんな感じ。前提が無いとこんなレベル。もう一回聴いたときの分析はこれよりも細かいが、ここでは省略。

では、相変わらず困難を極めるヘナハンの評は、というと。

New York Times 1984-1-6 Fri

By DONAL HENAHAN

ニューヨーク・タイムズ

198416()

ドナル・ヘナハン

もしあるとき、作曲家が自身の肩をつかむ冷たい手を感じたら、そして、死への試みについての不安を音楽にしたのなら、グスタフ・マーラーがその人であった。

マーラー自身がそうであった真のロマンティックのようなもの、を反映しているように思える最後の作品をかなり早くに予感し始めていた。しかし、彼の死の年1911年に未完成で残した交響曲第10番において明白にそのように見えるようなところはどこにもない。

スコアはただ単に、”O Lord ,why hast Thou forsaken me”といった絶望的なフレーズに満たされてはいるが、かなり力は弱まったが陶酔的な二つのスケルツオでさえ、音楽の雰囲気は緩むことは無い。

クルト・ザンデルリンク指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによる昨晩の演奏は、決して霊感をあたえ、高揚させるものではなかったが、重要な局面において、本質的に活気がなく孤独な性格が反映されている。過去にレニングラード・フィルの指揮者として、そしてごく最近ベルリン交響楽団の指揮者になったザンデルリンクは、自身のプログラムを5楽章70分で演奏した。

作品は荒涼としており不吉で孤独でなければならない、といった考えに基づいているのは疑いの余地がない。それはサウンドについても同じ考えであった。

10交響曲は、マーラーの苦悩したプシケに慣れさせられた人が、一晩、我慢して耐えるということが全てである。

スコアは1972年にあのイギリスの音楽学者デリック・クックによって拡大編集された有名な演奏版によっていた。

着想に対してはマーラーの未亡人アルマによって当初反対があった。1964年に初演された原典版はニューヨークで演奏されたが、その前にユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア・オーケストラが2回演奏している。

マーラー自身が部分的に完成させたスコアと草稿から、クックが完全版を書き上げるまでは、コンサート好きによって知られていた楽章は、最初のアダージョと自身がプルガトリオと呼んだ短い謎の楽章のみであった。これら二つの楽章が、マーラーが完成させた全てであったので、マーラーの交響曲第10番などというものはない、と多くの音楽家は当然のごとく反抗した。

たしかに議論すべきことはある。しかしクックがつなぎ合わせたハイブリット作品を聴くと、病的な魅力にとりつかれてしまうことを私は告白しなければならない。

作曲家は全然違うことをしたかったかもしれない、驚かせるようなことをしたかったのかもしれない、と聴き手が考える気持ちはいつもどこかに潜んでいるけれども、オーケストレーションはだいたいマーラーの音のように聴こえる。

初期の交響曲と比べてみても、ザンデルリンクの単刀直入でしばしば歩行者のような解釈には偽りはほとんどない、といった事実からいって、10番が真に活気があり独特であると、特に言えるわけではない。

大きな伸縮自在の拍をもった信頼できる音楽家、彼はフィルハーモニックから読みの良い音符を引き出した。しかし、彼らの間、彼らのもとに横たわっているものはなにか、ということにはヒントらしきものはあまりなかった。

少なくとも、最終楽章には残酷な種類のエネルギーがあった。マーラーが、第3番や第9番のゆっくりした終楽章という方法で、少しも諦めたような哀愁を帯びるように試みたことはなかったという冷酷なさである。バスドラムの10回の衝撃的な爆発によって区切られることによって、ベートーベンの5番の運命が扉をたたくといったことを暗示することはなかった。たとえあったとしても、打撃の衝撃とともに戸を通ってくる死、であり、おだてて丸め込まれるとか否定するといったことではない。虚勢をはることはなかったし、誤った推論もなかった。ただ恐れることは絶望と空虚。最終的にこの演奏はそのイマジネーションをつかんだ。

未完成で混合された曲の著作者の歴史を与えられた注目すべき鮮やかさと慇懃さの演奏を誰も予測・期待することは出来なかった。オーケストラ・セクションは、たいてい、金管が弦と木管を圧倒しバランスを崩していた。ザンデルリンクはそのような細かいことや、みんなが後期マーラーに期待するような超自然的絶頂感の達成といったことはあまり考えていないようにみえた。オーケストラによって正確に演奏された巨大でなじみのない作品を自分のものにするには、最初の演奏のときでさえ十分な達成感がなければならない。

おわり

ヘナハンは自分でも何を言いたいのか、最初から自己陶酔、極めつけの単語、熟語の連発で、あらぬ方向に行ったりもしている。

ヘナハンが言うには、曲はいいが指揮と演奏がいまひとつであった、ということらしい。

マーラー10番の6回公演の初日の演奏であり、オーケストラも十分こなれていなかったのかも知れない。オペラなどでは良くある。最初の演奏より2回目、3回目の方がのりが良くなり、千秋楽では絶好調などということは頻繁にある。ヘナハンも残り5回のうち何回かは足を運んだことであろう。

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