2018年4月9日(月) 東京文化会館
マーラー 交響曲第3番ニ短調 31、9-16+9+4+21
メッゾ、リリ・パーシキヴィ
東京少年少女合唱隊
新国立劇場合唱団(女声)
大野和士 指揮 東京都交響楽団
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今年2018年1月にあったトゥーランガリラは大時代的な表現でちょっとクラッときた。
2481- メシアン、トゥーランガリラ、大野和士、都響、2018.1.18
2482- メシアン、トゥーランガリラ、大野和士、都響、2018.1.20、アゲイン
今日、マーラーの大作を聴いていると、どうも指揮者大野はこのオケに押し切られているのではないのかという思いに捕らわれる。なだらかな野原、うねる野原、丘の上のほうにオケがいて、傾斜の底のほうで大野が一所懸命振っている。下からだと上全てが見えるわけではない。立ち位置が逆だったらどうだろう。
オケのほうは思いのままにやっていて、例えばきれいなグラデーション感は無くて、弦、ウィンド、ラッパ、パーカス、それぞれのセクションの中ではよく決まっている。オケ総体としての統一感への配慮がない。これは指揮者のすべきことだと思うのだが、そういうことのコントロールが出来ていない。言うことをききそうにないから言わないというのは極端だが、要は、大野のしたいことは別の事で、彼の意図を表現できるオケではない。と、立ち位置から感じてしまうのである。換言すると掌握していない。掌握されたくない。
トゥーランガリラのあの表現は、大野がこの作品を、今の時代に映える、魅せるに必要なギリギリの妥協だった気がしてくるのである。
おわり