河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2482- メシアン、トゥーランガリラ、大野和士、都響、2018.1.20、アゲイン

2018-01-20 18:31:20 | コンサート

2018年1月20日(土) 2:00pm 東京芸術劇場

ミュライユ 告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)  5′
 ピアノ・ソロ、ヤン・ミヒールス

メシアン トゥーランガリラ交響曲  6-8-5-11-6-11+4-12-4-8
 オンド・マルトノ、原田節
 ピアノ、ヤン・ミヒールス
大野和士 指揮 東京都交響楽団


18日に続き2回目。
2481- メシアン、トゥーランガリラ、大野和士、都響、2018.1.18

大野の解釈と都響の鳴りは、何か埋もれていた作品を発掘でもしたかのような蘇生感満載の演奏で、その意気込みが時代錯誤を感じさせるところは一昨日と変わらないが、それでもオケのほうはきっちり調整してくるあたりそれなりにプロの面目躍如たるところはあった。
愛の眠りの庭(第6楽章)をはじめとしてたっぷりと音楽が鳴るようなって、逆に2楽章のようにシャープさが一気に増したところもあった。

クライマックス第8,9楽章は手応えありました。第5楽章作曲家自らが言うペルソナージュ・リトミック、それをさらに拡大したような4主題同時錯綜の第8楽章が圧巻。交錯する主題群、目くるめく技、これらを同時認識して聴くことになる。聴き手としても腕まくりしたくなるようなところがありますね。音の彫琢は現音オーソリティとかスペシャリストのほうが一層精度の高い磨かれた切れ技と因数分解をオケに託すことが出来ると思うものの、ぶ厚さを前面に出した錯綜はそれなりに聴きごたえあり。大時代的な煽りとはこういうものだったなと、なにやら色々とフラッシュバックモードのパフォーマンス。
後方チェロプルトのかたがベース2本の譜めくりする、息の長い13弦のアンサンブルがお見事な第9楽章。17種のリズムモードの同時進行を、ウィンドを含め割とスタティックな装いで聴くことが出来る。ここは全曲中一番短い楽章と思われるが精度の高い演奏を展開してくれました。これら8,9楽章が良かったせいか終楽章はもう終わりという感じで軽め。大野棒はさらに作り過ぎの世界に過度没入でまるでスクリャービンの3,4番あたりの大げさなロマンティシズムに向かって行った。

一昨日のブラスセクションはメシアン呼吸が無くぎこちない吹きだったが、今日はかなり揃ってきていて、自由度が高まった演奏を展開してくれた。空虚な空鳴り、それは少し減った。作品への共感をプレイヤーに植え付けるのは指揮者の役目と思うところもある。

ミヒールスのピアノはさらにシャープさが増し、研磨されたような研ぎ澄まされた音。指揮者の振りを凝視しているが、都響の音の出るポイントと彼のポイントは大いに違う。都響の音の出が遅れている。峻烈なピアノ、彼のような時代ですよ今は。

全体にオールドムーヴィー的な演奏表現は今の時代に合うものではないと思うところが大きいが、それなりに楽しめました。
原田マントは今日は短めでひざ上まで。

最初に演奏されたミュライユの作品。一昨日と同じ印象。最後は冒頭に回帰するように聴こえた。弾き終えた後の空間は静かさを湛えたものでメシアンの広がりを感じる。いい演奏でした。

おわり

PS
ここのオケは定刻過ぎても演奏会がなかなかはじまらない。定刻5分後が定刻の様で、今日もウィンドの束、そして最後までフルート1本しつこく、5分近くオーヴァーして音出し。ようやくひっこんで照明が落ちピアニスト登場でミュライユが始まる。
毎度、モタモタしたタイムチャートに辟易。都響の遅刻開始は要改善。こんなことで時間つぶしをしないで演奏時間をもっと多めにしてくださいね。あと、ベルリン・フィルなどのようなオケを見習って、入場行進をもっとスピードアップして。歩く速度が全く違いますよ。事務局のかたは他オケ、特に来日オケの作法を見たほうが良いと思います。と、アンケートに何回かいても無駄骨のようだわ。




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