この11月末、今年もフルトヴェングラーの命日がやってきました。1954年11月30日に68歳で亡くなっておりますので58年経ちました。いまどき68歳というと指揮者では脂がのりきっている年頃。あと20年ぐらい活躍しても不思議ではない。
でも、あの棒の振り具合だとこの年ぐらいが限界のような気もします。あまりにも過激な振り姿。
ワルター、トスカニーニ、クレンペラー等の生年没年の中にすっぽりと収まってしまう短い生涯ではありました。濃く短く。
このヒート感が人気を保っている一つの理由かもしれません。また、あの律動芸術の奥義については彼自身が書いた本をたくさん読むのがいいと思います。浅学の知恵ではない哲学の世界をさまよう棒。
個人的には、日本フルトヴェングラー協会会員を、10年を4度重ねてしまいましたが、昔の熱はどこへやら、昨今は東京フルトヴェングラー研究会の熱い動きに恐れ入ります。CD頒布などとはべつに、演奏会、読本、フォーラム、フェスト等、野口氏の活躍には目をみはるものがあります。
商用の音源発掘はほぼ終わりつくして久しいですが、今度は音質向上と称し手を変え品を変え、これはこれで悪い話ではないとは思います。
一般に、音源に関しては昔のセッション録音中心の時代から移り変わり、バブル期以降はライブ音源の掘り起しが流行り、その流れのまま音質向上と称し再発連発。新譜はほぼライブ音源、掘り起しは未発掘のものと音質向上再発盤。経費節減もありだいたいこの流れできている。
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偉大なものは単純であると運命の動機が鳴り、濃くもぶ厚い2,3楽章を垣間見てフィナーレ勝利のファンファーレが高らかになり、コーダへ滑り込む、このコーダは高技術集団ベルリン・フィルの保有技術を越えてしまっていてフルトヴェングラーの指揮についていけてない、圧倒的な解釈なわけです。そこまでして何を表現しなければならなかったのか。これはもちろん1943年戦中の怒髪天を衝くトンデモ演奏の話ですけれど、戦争中という尋常でない状況があって初めてできた演奏であって、それならば政治と音楽とは別物と言ったフルトヴェングラーの言い分は矛盾するのではないのかと、かの大木正興氏は昔言いました。では戦後のこの演奏、シュマ1の圧倒的奇天烈さはどう説明すればいいのでしょうか。
ここは気を静めて、全く別の側面、例えば独特な弦のスタッカートなど絶妙な表現に耳を傾けてみるのも一つの手かと思います。
政治と音楽については、来年の2月に再上演されるテイキングサイド(注1)を楽しみにしましょう。
それまでに彼の本(フルトヴェングラー執筆のもの)は読めるだけ読んでおきましょう。その深さに驚きます。私も再読しておきます。
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書き出すときりがありませんので、ここまでとします。
それでは、これも最終的には政治がらみとなりその後続かなかったものですが、恒例となったニューヨーク・フィルハーモニックへの登場の全プログラムをメモしてありますのでリンクをご覧ください。フルトヴェングラーの登場は3シーズンのみです。
1924-1925シーズン
1925-1926シーズン
1926-1927シーズン
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それから、これも以前書いたものですが、フルトヴェングラー作曲の交響曲第1番の日本初演の演奏会の模様をリンクしておきます。
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フルトヴェングラー作曲 交響曲第1番 日本初演
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おわり
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注1
これは演劇です。
日本国内では、来年の公演は再演です。初演は「どちらの側に立つか」という題で国内初演済み。
そのかなり前の1995年にイギリスで上演済み。その際の日本の新聞評をリンクしておきます。
1995年10月12日の朝日新聞より
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