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2002年6月22日(土) 18:30
初台、オペラ・シティ コンサート・ホール
ワーグナー マイスタージンガー、前奏曲
ワーグナー トリスタンとイゾルデ、前奏曲と愛の死
フルトヴェングラー 交響曲第1番 (日本初演)
(アンコール)
シューベルト ロザムンデ、間奏曲
ワーグナー ローエングリン、第3幕への前奏曲
ゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒト 指揮
シュターツカペレ・ワイマール
フルトヴェングラー作曲の交響曲第1番の日本初演が行われたのはつい最近であった。あまりの素晴らしい曲と演奏であったため、河童のお皿のほとぼりが冷める前に、帰宅後どっかのサイト板に思わず書いてしまった。そのときの模様。
亡国のティピカル都市型無責任エンタメ総理ではないけれどセリフだけは真似したくなる。
【興奮!興奮した!感動した!!
素晴らしい曲だ。実演で聴くとどのセクションも休むことなく、ひたすらこの難曲を弾きまくり吹きまくり叩きまくり。特にブラスは最初から最後まで鳴りっぱなし。爽快感を感じることが出来る。実演がなかなか実現できないのはブラスがへばるからではないかと勘ぐりたくなる。ここにあるのはヒンデミットでもなければシュトラウスでもない、明らかに作曲家フルトヴェングラーである。本当にすばらしい。クライマックスの高揚感はいかばかりか。
どうも、暗いイメージの曲の解説とか経緯とかが先走ってしまい、実演を聴いてもいないのに変なイメージが頭の中にあるからいけないのだ。(東京F研究会N氏のプログラム解説ももっと曲そのものの音のことを書いてほしいなぁ。)私には何か情景をあらわす映画音楽のように聴こえてくる。細かい分析は神出鬼没の評論家KK氏にまかせて、この空間の音響を体に浴びせまくった。とにかく作曲家フルトヴェングラー大発見!!
オケもすばらしい。マスで攻めてくるあたり望郷の念にかられるが、この曲にはふさわしい。大力演のオケと指揮者。オケが去った後のカーテンコールまで印象的な演奏会でした。】
ということで、久々のヒット。実際、聴いた直後の興奮状態そのままである。詳しい分析は、当日聴きに来ていた神出鬼没の音楽評論家金子建志さんにまかせるとしても、音の響き自体のことを中心に書いてみたい。
まず、第1楽章の「いり」から思うのはせっかちとさえ言える曲想の変化である。弦楽器によるせわしないフレーズと、ブラスによる絶え間ない咆哮。ブルックナー的沈黙とか息の長さみたいなものはここにはない。彼の求めているものではない。従って、よく曲の解説とか背景説明などにあるように、「ブルックナーとシュトラウスとヒンデミットなどが混ざったような」、などというような言葉の羅列が嘘であると言うことがたちどころに理解出来る。やはり響き、音、をなんの先入観念も持たず聴くと言うことは大事だ。最初せわしなく感じた曲の流れも、だんだんと積もり重なっていき遂には巨大でヘビーな音響空間が構築される。これは見事としか言いようが無い。唖然とするすばらしさだ。もちろん、暗い時代背景が反映された.....といった解説も完全に無視。
河童には映画音楽の情景描写のように聴こえる。ただ、調が安定することはない。ニ短調的不安定感と、予定調和は第4楽章のフィナーレまで持ち越しだよ、といったメッセージを強烈に感じる。
また、第1主題、第2主題というソナタ形式も明確には聴こえてこない。(これは聴きこんでいないからかもしれない。)絶え間ない曲想の変化、静寂な部分もそんなに長くは無く、すぐにエネルギーの爆発が始まる。退屈する暇は一時も無い。
あっという間の第1楽章31分であった。なにか巨大な壁画を見るような思いである。この第1楽章を聴いて思うのは、作曲家フルトヴェングラーはこの1番の後、決して量産するタイプではないなぁ、ということ。
第2楽章スケルツォ9分、第3楽章アダージョ15分は、巨大な第1楽章31分の内容に比べるとあっけない感じでさえある。長さ的にはバランスを欠くかもしれないが、あの超ヘビー級の第1楽章のあとにはこのようなスケルツォこそふさわしいのかもしれない。ここでもあのせわしない曲想が印象的である。アダージョでさえ、下降するフレーズよりも弦楽器によるせわしない曲想の方が印象的だ。このアダージョも息が長いというものではない。
クライマックスは第4楽章である。ここには真の音の響きの饗宴がある。昨今の分離した音を求めるスコアではないらしく、時代を反映したマスとしての響きを強烈な音圧として感じることが出来る。弦楽器の絶え間ない変化、ブラスによる強烈な例の降下音フレーズ、ソロイスティックな木管、二人で叩くティンパニ。なにもかもサディスティックなまでに燃え上がる。特にブラスセクションの咆哮はすさまじい。よっぽどの共感が指揮者とオーケストラ両方にないとここまで踏ん張れないと思う。そして、最初に書いたように、最後を予感させた予定調和が完全な高揚感を伴ってすさまじい打撃音とともにかなたに終わる。
なんという充実感だろう!!久しぶりだ。このような圧倒的な音楽を聴いたのは。拍手もこのタイミングしかありえないという全く納得できるものであった。
この指揮者とオーケストラは日本ではあまり知られておらず、曲も曲だけに三分の二程度の入りであったが、これからは見直されるだろう。やっぱりオペラをやっているオーケストラは強い。特にこのような大曲には腕まくりであろう。そこまでさせた指揮者に脱帽。
さすがフルトヴェングラー協会お墨付きの研究家だけのことはある。共感度が他の指揮者とは全く異なる。
オーケストラ自体は、音を分解させて響かせる、といった昨今のスキルレベル誇示の方向ではなく、昔ながらのマッシブな音楽アンサンブルが心地よい。特にこのような曲にはふさわしいと思う。その意味では時代を反映した曲と言えるかもしれない。
この曲は聴いているとアウフタクト部分も8分音符、16分音符で、というフレーズが頻繁に出てくる。そういったところはなかなか合わせづらいと思う。このような部分が一流との差になるのであるが、このようなことは次回のお楽しみとしよう。とにかく初来日ということもあり、全国行脚、プログラムも長大、アンコールピースも盛りだくさん、久しぶりの正味2時間半オーバーのフルコンサートであった。
第1楽章 ラルゴ 31分
第2楽章 スケルツォ 9分
第3楽章 アダージョ 15分
第4楽章 フィナーレ 26分
おわり
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ところで、冒頭に書いた解説のN氏。昨日の成果はどうだったのだろうか。
第3番の初演。
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