いつ頃からなのかよくわからないのだが、演奏会でプログラムが終わった後、プレイヤーが指揮者を盛り上げるようになった。
普通、指揮者がプレイヤーを立たせ聴衆の拍手に応える。目立つソロ楽器がある場合は、その人だけ立たせたり、またセクション、アンサンブル毎に立たせたりする。
そしていつ頃からなのか、指揮者が何度も拍手喝采に応えてでてきて、プレイヤーに立って立ってとアクションしても、誰も立たない。足音ドンドンさせたり、聴衆と同様拍手したりするプレイヤーが座ったままで指揮者を盛り上げ、指揮者は、ありがとうありがとう、とプレイヤーにお辞儀をする。
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これってどうなの。
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招へい指揮者に対する歯の浮くようなお世辞なのか。
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それとも、
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我々プレイヤーはプロなんだからうまくて当然。この我らのような性能のよい楽器を使って、あなた指揮者が素晴らしい解釈をして聴衆を満足させたのだから、称賛を受けるのは指揮者なのです。といっているのかしら。。
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後者でいいのではないか。(前者も後者も同じようなもんだが)
プロゴルフ大会の常連優勝者は、いくらいいゴルフボールを使っていても、それを観客に向かって投げ放つ。なんの未練もない。
優勝ボールに未練があるのはアマチュア。アマならコレクションにいいかもしれないけど、プロはコレクションにしてしまったらもうそれまで。これから何度も何度も優勝を目指すにはそんなものいちいち記念にとっておいてもしょうがない。
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ボールは演奏のプレイヤーではないけれど、よくて当然。ゴルファーを満足させるもの。
演奏のプレイヤーはゴルフボールではないけれど、よくて当然。指揮者を満足させるもの。
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それでいいのではないか。
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ただその風景かちょっとだけ、ヤニっぽく見えたりするのは、プレイヤーが聴衆を無視して指揮者を讃えているから?
プレイヤーは指揮者の一番近くにいるけれど、全体が必ずしも見えているわけではない。全体を俯瞰できるのはもしかして聴衆のほうかもしれない。
だから仕事でプロジェクトのリーダーを昔多数経験した人々や、崇高な経営者たちは指揮者になって100人をコントロールするのが夢、などと言ったりするのをよくきく。
これは妄言でもなんでもない。全体を俯瞰して仕事を進めてきた人たちの本能。
聴衆をすべて受動的な人々だけと思うのは大間違い。
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というわけで、プレイヤーが指揮者を盛り上げてもいいと思う。
招待した指揮者の場合だけ盛り上げて、自分たちのオーケストラの音楽監督に対しては、どうだろう、あまりそんなことしないよね。ファミリーの一員だものね。ここらへんは難しいところがあるよね。
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