イタオペを全部暗譜で振れるんじゃないかといった感じのネロ・サンティの棒をBSのN響定期でみた。彼の顔はすごい。
サントリーホールのようなワインヤード型でP席に座っている人は、顔、表情がわかるのだろうが、一般的には演奏前後しかわからないのが普通。
曲が終わった後のサンティの破顔は、今の演奏の素晴らしさに満足している様子がうかがえるが演奏中の顔はほぼ全く見えない。こうやって放送で顔を見ると実に興味深いものがある。
半開きにしたまぶた、鋭い目つき、あまり動かない指揮姿、長い指揮棒、要所を押さえた冴えた棒さばき。
聴衆のほうを見たときとはまるで別人の顔がカメラを通して飛び込んでくる。恐ろしい顔だ。
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太めで動きの悪そうなおじいさん、見た目そんな感じがあるのだが、全く異なる世界がそこにある。
N響は、このようなやや職人気質で、指揮姿は派手でなく、能ある鷹は爪を隠しているような、こうゆう指揮者が好きだ。
N響に近年、頻繁に棒を振りに来るのは、たぶんN響のほうが頼んでいるのだろう。
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サンティを最近聴いたのは、このBSで放送された2007年11月の定期ではなく、2003年5月のヴェルレク。
2007年は11月はものすごい海外の演奏団体来日ラッシュと重なってしまい、N響は残念ながらスキップした。
2003年のときのヴェルレクではあまりの素晴らしさにぶっ飛んでしまったが、それよりも昔々ぶっ飛んでいる。メトに頻繁に出入りしていた頃、サンティの棒で、リゴレット、蝶々夫人、ツァンドナイのフランチェスカ・ダ・リミニなど結構観ている。と言っても、ファミリーサークルから脚立付きの双眼鏡を使ったりしていたので彼の表情はいま一つ不明なところはあったのだが。。
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彼の棒さばきの素晴らしは、背後からは分からずプレイヤーにだけわかる。棒というのはそれでいいと思う。
横を向いたり、はたまた聴衆の方まで振り向いたりいろいろな芸をする指揮者がいるがあれはあれで別に悪くはない。目をつむれば本当の音が聴こえてくる。但し、オペラではそうもいかないが。。
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サンティの棒で思い浮かぶのは、フリッツ・ライナーである。
完全に掌握しきったシカゴ交響楽団を前に眠りについたフクロウのような目と、かすかに動くような気がする棒で、なんであんな音が出るのか。
サンティはライナーより数倍よく動くが、それでも昨今の指揮者に比べたら柱時計みたいなものだ。
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ちょっと気になるのは、サンティの棒のときに聴衆のフライング・ブラボーが多いような気がすること。
今では日本人の生き恥遺伝子となって生息し続けるフライング・ブラボーであるが、このブラボーバカもサンティの演奏がこんなに素晴らしいと予測していなかったせいか、本当に感動して絶叫しているらしく聴こえるときがあるのだ。
バカコもだまる演奏、なんだからやっぱり静かにして欲しいな、とは思うけれど。
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サンティの棒はやっぱり生で体験しないとそのよさがわからない。こんなすばらしいおじいちゃんがいたのか、って、絶対、納得。
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