2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
.
●
2012年12月14日(金)7:00pm
サントリーホール
.
マーラー 交響曲第9番
.
尾高忠明 指揮
読売日本交響楽団
.
第1楽章27分
第2楽章16分
第3楽章13分
第4楽章27分
.
この曲の情念とか、ドロドロしたもの、手垢にまみれたもの、といったあたりは横に置いといて、尾高流の比較的さわやかマーラーであり、一発公演ゆえの機能的要素の優先、結果、純音楽的に響いた。ということになると思います。
つきつめていうと結局、尾高らしさが前面にでた演奏内容になっていたと思います。
.
練習不足があったと感じました。以前のブルックナー8番もそうでしたが、シーズン予定されているとはいえどちらかというと唐突感がある。シーズンプログラムの流れや指揮者の配置などを考えると、分断されるような雰囲気。シーズン中、この日は例外的なイベントの日なのだ、という雰囲気もない。
マーラーのオーソリティーではないし、一発だと練習も限られていると思うし、曲解釈の日常的な意思疎通や、解釈の移植をしにきたということもない。
だから、よりどころは、両者ともにスコアが第一義です。楽譜の中からのみ音楽が湧き出てこざるをえない。つまりスキル的な機能優先でありそれで曲は出来上がる。練習不足というのは、そのスキルレベルの流れの中で、勘どころを今ひとつとらえていない。指揮ぶりは、ロボコップ風にギク、シャク、昔と変わらない、そんな感じで流れも少し引っかかったりするようなところがあり、それが練習不足によるものと思えました。
ただ、十分な時間があり尾高の解釈がこのオーケストラに浸透したとしても、情念やギトギトした演奏になるかといったら、そうではない。この日の演奏スタイルが研ぎ澄まされる方向に進むのであって、結局、尾高さんの方向感覚だったんですね。深刻さからはかなりの距離がある。
専門家でないのでよくわかりませんけれど、例えば低弦とヴァイオリンが同時にでるフレーズで、よく聴かれるマーラー演奏だと、低弦がまず先にしっかり音を出して、ちょっとおくれて高弦がはいるといったことがたびたび聴かれます。スコアに「ん、パー」というところもあるにはあるのですが、尾高だとこうはならず、上も下もなくバーンと一斉に音を出す。こうゆうことがドロドロ感とかモヤモヤ感を無くしていく。純器楽的でピュアな響きになるんですね。
.
プレイヤーは今、曲がどこらへんのあたりにいて、だからここはこうゆうふうに表現しなければならない、といったありのことまで深く考えて演奏するのは難しいと思います。それは指揮者の仕事。全部指揮者にゆだねて思いっきり演奏すればいいとおもうのですが、そこまで達していたかというと、なにか、冷たいときのN響みたいな感じで、気持ちの一体感より両者の乖離を少し感じました。純音楽的、器楽的に響かざるをえない。確信棒、確信演奏ではない。例えば、第1楽章終結部の奇妙なホルンのソロ、線細く、もともとあのような空虚な響きなうえに、奏者と指揮者の間にはクレバス的な歴史の断絶があるように思いました。
.
尾高の棒はわりとドライに流れる。接ぎ木のようなところはなく、線がすれすれのところでつながって進んでいる。もしかして指揮する回数が減っているのかなぁ。
もしかしてブルックナーもマーラーもあまり得意ではないのかも。
おわり
●
ご参考
2010年5月15日 ブルックナー7番 N響
1978年5月20日 N響定期
エルガーとかはまた別途。書くのが追いついていないので。