河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1386- リャードフ、8つのロシア民謡、ショスタコーヴィッチ、レニングラード、スラットキン、N響2012.9.21

2012-09-22 00:30:58 | インポート

2012年9月21日(金)7:00pm
NHKホール
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リャードフ 8つのロシア民謡
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ショスタコーヴィッチ 交響曲第7番レニングラード
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レナード・スラットキン 指揮 NHK交響楽団
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作風にもよると思いますけれどロシア民謡って本当にこんなに息の短い曲が多いのだろうか、と思ってしまうぐらいのもの。一曲がだいたい一二分長くて三分。チャイコフスキーやショスタコーヴィッチの原型のような響きもありそれなりに楽しめた。大曲の前の準備体操。
ここのところ読響によるメロウなパルジファルを立て続けに4回ほど観劇したせいか、N響の音の硬いこと。響きは透明なのでガラスのような出来具合だ。国内最高水準ではあるのだが、各国一流どころはさらに何かがあるんですよね。
このホールでステージがこのように聴衆から見て大きく手前にセッティングされるようになったのはいつ頃だったのかしら。昔の話ではなく今世紀になってからだと思うのですが記憶が定かではない。
前に出た分だけ聴く方にとっては音源が近くになり、ただの多目的ホールよりは少しましになったと思うけれど、やたら音がデッド。ホールのもう一つの本質がでたということなのか。それとも読響パルジファルのせいなのか?
ガラス細工のようなこの日のリャードフ良かったと思います。ラヴェルなんかもいいと思いますね。ストラヴィンスキーの無調ものなんかこのホールに適しているかも。一方、ウェットな曲はどうなのかな。夏の風の中で、とか。
ということで、
高スキル集団ですので余計なお世話なんでしょうけど、素晴らしく分解された響きは求心力をどこに求めるのかなんとなく彷徨っているような気がしないでもない。
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シュワちゃんのCMが頭から離れない年代の人も多いと思います。私も同じ。
レニングラード第1楽章の形式はよくわかりません、提示部の素材を使わない展開部があるということなのかな。また冒頭、威勢がいい割には尻つぼみ、第2楽章も同じくクシュンと終わる。第3楽章はアタッカで終楽章につながるものの、ショスタコーヴィッチの美しいピアニシモの世界が展開。この第3楽章が個人的には一番好き。特に最後、調が戻るあたり。
終楽章も形式的にはわからない。どのように頭をめぐらせばあのような形になるのかわからないということです。
この第4楽章のベートーヴェンの運命的な、頭短く尻長くのリズムはどうも脳神経細胞を直接触られているような感じであまり居心地のいいものではない。意識覚醒の為のモールス信号サウンド、たしかにそんな感じですね。
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第1楽章26分
第2楽章11分
第3楽章18分
第4楽章15分
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奥に右から左まで一列にバンダを配した大規模曲のわりには時間経過的には弱音系が7割がたを占めている。この観点で聴くのもいい。静かさは第5番の第3楽章に見られるような一貫したものではなくて散文的。もっとも曲自体、散文的ととらえて聴いた方が楽かもしれません。
スラットキンは弦をあまり切り刻まずに埋めていっているが全体的に音がドライに感じるので、濡れた艶のようなものはなく機能美の世界。情念のような入れ込みはない。ゲルギエフの棒によるN響、キーロフ合同演奏のときのようなびっしりと敷き詰められた動きでもない。
とにかく力点が絞りづらい、力点不要。演奏はシャープだが、フラットな解釈で、普通の演奏でした。そつなく。
スラットキンは現代音楽が好きで、あっちのほうに熱がこもっているのかも。
7番のブラスやウィンドに裸の綱渡り的な際どさを求めるのはないものねだりか。一本のインストゥルメントの露骨さが欲しいところでした。
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スラットキンとかリットンといったアメリカの一流どころの指揮者というのは、自分の前に一流のオーケストラがいてあたりまえ、と思っている。技術は空気みたいなものなんです。客演であっても常任であってもオーケストラ・ビルダーではないでしょう。体を揺らせば音も揺れる、などといったことにあまり関心がない。ように見受けられる。
その上で好きにする。そのような人もいるし何もしない人もいる。
まぁ、今となってみればそうなんでしょうが、セントルイス当時オーケストラのポストにうまくはまった。セントルイスはもともと下地があり、そこにやる気のある指揮者が来た。若いときの可能性ですね。レコーディングもしていて、箱に入ったLPセットも何点か買った記憶があります。
カーネギーホールでスラットキン&セントルイスのコンビでショスタコーヴィッチの11番を聴いたことがあります(ブログ未アップ)。定期の曲を持ってきたと思われるのですけれど、一発勝負のゴングみたいな感じでたしかに溌剌としてました。体浮いてましたからね。
あと、ニューヨーク・フィルの現代音楽フェスティヴァルで振ったこともあります。もちろん全部現代音楽で、音色にプリズムの色を配したような実験音楽もあったと記憶します。
1984.6.2

1984.6.2のNYT評

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あともう一個同じくnyp公演より。
1983.12.13
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他にもあるかもしれませんが、整理中。
おわり


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