スカラ座来日といえば、1981年初来日における火の吹き出る炎のブラッシング・サウンドがNHKの生中継とともに忘れ難くいまだリアルな印象。
1988年は2回目ということになる。
この年、ミラノ・スカラ座は日本で一か月公演を敢行した。9月1日のナブッコに始まり、10月1日のトゥーランドットまで、ひたひたに皿をオペラ漬けにしてくれた。
おりしも、国内ではバブル病という免疫のないはやり病が大流行しており、チケットの値段はいまの価格に比べたら安いものではあったが、付属品であるプログラムがいちいち高かった記憶がある。
公演の最高席が3万5千円というのは隔世の感がある。あのバブル時代でこの値段だから、今の海外オペラ団体の引っ越し公演がこの1.5~2倍であることを思うと、やはりバブル時代は良かったのかもしれない。お酒は高いがオペラは安かった。
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演目は4演目。
・ベリーニ/カプレティとモンテッキ(4回)
指揮リッカルド・ムーティ
・ヴェルディ/ナブッコ(4回)
指揮リッカルド・ムーティ
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・プッチーニ/ラ・ボエーム(6回)
指揮カルロス・クライバー
・プッチーニ/トゥーランドット(4回)
指揮ロリン・マゼール
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演奏会が4回。
・ヴェルディ/レクイエム
指揮リッカルド・ムーティ
・オーケストラ・コンサート
指揮ロリン・マゼール
・他2回
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ムーティはプッチーニは振らないので、前半のカプレティとナブッコ、それに9月11日のヴェルレクで役目が終わり。
後半はクライバーとマゼールが振り分けた。この両者と振る演目が逆なら面白いが、ありえない。双方とも好みがはっきりしており自覚症状があるということだ。
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どの演目も興味深いが、何と言っても初物のナブッコが聴きもの見ものだ。
当時、レーザーディスクが流行の兆しにあり、それまでのヴィデオ・テープではなく、レコードと同じ形をしたドーナツに映像を収めることにより、なんとなく画像・サウンドがよくなったような気がしたものだから、いま思うと、幼稚であった。
後で考えると、画像の粗悪さ、サウンドの悪さ、取り扱いの不便なこと、重すぎる高すぎる、何がよくて買いまくったのか自分ながら理解できない。商業ベースの作戦にみんなやられたということだろうと思う。
そんななか、クラシック特にオペラのレアなソフトがお店に並ぶようになり、それだけは昔にはない現象であった。売るほうもソフト不足だったのかもしれない。
このようなマイナーなオペラも発売されることがあり、たまに買って、一回はみた。
字幕があるのがまた救い。昔のオペラ公演では、字幕はなかった。だから事前勉強が必須。そのうち、正面真上に字幕が付くようになった。これはこれで便利だったが、前方席に座ると、字幕と舞台は同時に見ることはできない。頭を45度にあげて字幕を見るか、水平にして舞台をみるか、どっちをとるか、みたいな感じ。今はそんなこともなく改善されてきて、映画を見るようにストーリーの事前勉強は不要となった。これはものすごい進歩だと思う。
それでも、テレビ・モニターでみるオペラはいくら字幕付きとはいえ、迫力不足、リアル感がなく、やはり生にはかえがたい。持続する緊張感、伏線が途切れることなく継続する現場のリアル感。舞台にしかない即興。上手と下手を同時に見ることができる充実感。など生の舞台にかなうはずもない。
それで、ナブッコから始まった。