河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1010- ブルックナー7番 尾高忠明 N響 2010.5.15

2010-05-17 00:10:00 | インポート

2009-2010聴いたコンサート観たオペラはこちら

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2010515()3:00pm

NHKホール

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武満徹 ノスタルジア

   ~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に

 ヴァイオリン、堀正文

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ブルックナー 交響曲第7番(ハース版)

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尾高忠明 指揮 NHK交響楽団

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曲が終わるや否や間髪をいれるように拍手があったのではなく、最終音が鳴っている最中に拍手が起ってしまった。アメリカ流の品のない大雑把なもの。

この演奏、空気感が変化するところまではいかず、よくとれば、そのような日常のままの演奏感にふさわしい拍手だったともいえる。

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尾高の棒はそれこそ昔からそうなのだが、「ためのない」棒。上半身より腕が下がることのないそれでいてしゃくり上げ型の棒。ブルックナーの深呼吸、ワンテンポおいたアインザッツの深み、そのようなものがはっきり言ってしまえば、無い。

ズシンとこなくて、バーンとなる感じ。エルガーのようなイギリスブラバン的な音楽では、ストレートな鳴りが曲の前進性を高めぐいぐいいく。ブルックナーにおいては、垂直性というか、縦の深さが求められる。響きの厚さとでも言おうか。

尾高の十八番であるエルガーは、そのような前進性に加え、しっとりとした深み、なんともいえない味わい深い表現が備わってきたのだが、ブルックナーにおいては、その深み以前に棒そのものに少し問題があるようだ。意欲的な選択で、若いころならブルックナーより振りたい曲がたくさんあったはず。その意味では、ようやくブルックナーの世界に足を踏み入れたようなところなのだろうが、ホールの空気感が変わるようなところまではまだまだだ。45年前に聴いたミスターSの同曲演奏は見事に空気感を変えてくれた見事な演奏だったが、あすこまでになるには時間がかかるだろう。若い時からもう少しブルックナーを振っておいてもよかったのかもしれない。今だったら7番ではなく6番や1番のような曲のほうがいいかもしれない。

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1楽章では三つの主題のうち第2主題でのアップテンポが印象的。第3主題もそのまま押し切る。

2楽章アダージョも第2主題が早めの設定。

変化を大胆につけるのは悪くはないのですが、音楽がなんかとても軽くなってしまう。

1楽章も第2楽章もブラスセクションのストレートなフォルテシモは締まっていて気持ちのいいもの。その先が欲しいし、別の表現も欲しい。

ワーグナーチューバ、ホルン、トランペット、トロンボーンは足並みがそろっており秀逸でした。ホルンは第4番ロマンティックのような活躍は少ないかわり、弦とのユニゾンで頑張らなければならない。松崎さんは、まるで弦だけ、のような見事なピッチで他を圧倒。

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3楽章スケルツォは尾高にもう少しメリハリがあってもいい。第12楽章とあわせどうもちぐはぐな感が否めない。

4楽章は第123楽章に比べて短く、もう少し構造を深彫りしてほしい楽章だと思うのだが、これは作曲家のもの。ブルックナーのバランス感覚。尾高の棒はこのようなストレートな曲想で進む音楽の方があっている。

今日のような感じで5番を振られたらたまらない。ブラスをはずして練習したらいかがなものか。

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前半の曲は、なにが、どこがいいのかまるでわかりませんでした。そもそもこの作曲者には興味が湧かず積極的に聴いたためしがない。

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