河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

776- フランス・ブリュッヘン 心眼のハイドン 2009.2.20トリフォニー

2009-02-22 18:00:00 | 音楽

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2009220()7:15pm

すみだトリフォニーホール

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ハイドン/交響曲第99

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ハイドン/交響曲第100番 軍隊

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ハイドン/交響曲第101番 時計

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(アンコール)

ハイドン/交響曲第101番の第2楽章

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フランス・ブリュッヘン 指揮

新日フィル

今年2009年になってから演奏会に出かけるのは2回目。今シーズンは今年になってからこれはという演奏会があまりなく先シーズンほどのにぎわいもない。

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この日は久しぶりに出かけた。

錦糸町のすみだトリフォニーでここのところずっとフランス・ブリュッヘンが居座っている。

ハイドン・プロジェクトと銘打って新日フィル相手に天地創造、それにロンドン・セットの公演を続けているのだ。

今日はロンドン・セット三日目の公演。

75歳になっただろうかブリュッヘンがカマキリの風貌で、1センチ背中を押したらつんのめって転んでしまいそうな足取りでポーディアムに向かう、その姿はそれ自体妙に真摯な雰囲気を醸し出す。そしてゆっくりと深い椅子に座りこむ。棒をもたない長い腕が聴衆側からはあまり見えないぐらいの動きで音楽を自在に操りはじめた。

果たして出てきた音、音楽というものは、あっ、と思わせるほどの厳格な音のトレーナーを想起させるに十二分過ぎるほどの圧倒的に引き締まったものであった。

今日のオケサイズはだいたい60人規模。小さくも大きくもなくこの響きのよいホールサイズに合わせたと言ったところだと思われるが、きりりと引き締まり研ぎ澄まされた音は練習の成果というよりむしろエクスパートがあるべき姿を示すためには妥協を許さないといった姿勢に貫かれたようなサウンドであり全く評価できるものである。音楽に向かう姿勢はこうでなくてはならない。なにか、オペラに立ち向かう専門指揮者のようなイメージがハイドン・スペシャリストにだぶる。ここにこの専門指揮者がいたといった非常に確信的な心強さを感じた。やっぱりこうでなくてはならない。

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今日はロンドン・セット中核の3曲を並べた。

1楽章が15分近くかかり、合計35分におよんだ第99番が結果的に一番バランス感覚、緊張度、音楽の出来具合、などとると当夜一番の聴きものになった。

誰一人欠けてはいけないウィンドの響き、ハーモニーよりもかけあいの妙を堪能できる。プレイヤーの自信はブリュッヘンの音楽への確信から伝播したのであろうか。変に窮屈にならず、プレイ・ミュージックしており安心してこちらも楽しめた。

それに弦が隅々まで、それこそ小さなフレーズの最後尾の音まで確実にニュアンス付きで演奏されており、いきとどいた音楽となっている。こういったところは耳のあるトレーナーの響きを感じさせてくれる。

リピートはことごとく行われていたように思うが、退屈になるどころが指揮者の音楽への愛着が繰返しをするごとに増すような趣きであり、こうゆうものこそそれこそ繰り返し聴きたくなる。全く飽きさせない音楽づくり。新鮮な音楽。

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足にガタがきているので99番を終えても、ひっ込んでいくわけでもなくちょこっと立って聴衆に一礼しそのまま座りなおしすぐに100番へ。当たり前の演奏をしたまでだと心の声が聞こえてくる。

ソナタ形式第1主題前の序奏に力を込めたブリュッヘンの音作りは折り目の正しい音楽であり、決して頭でっかちになることはないが序奏で既に一定の解をだしているようでもある。

100番の軍隊では、クレッセント、バスドラ、シンバル、トライアングルが追加される。

軍隊の響きは多少埃っぽっくなるがその分緊張度も少し解き放たれたようになる。99番から延々と折り目正しい音楽が続いてきているのである。いいかな、と。

そして追加された4人は役目を終えたところでそでに退場。と思いきや、第4楽章で上手から歩きながら現れストップモーションならぬサービス精神を魅せ、下手に退場。音楽の変化という意味ではいい味付けになった。

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休憩のあとは101番の時計。

2楽章がやたらと有名で誰でも知ってしまっているが、ブリュッヘン本人にとってもやりつくしているものだろう。でもこのような音楽にどのように向かうか、それがポイントです。

今日出てきた音楽は昨日とは異なるもの、指揮者はいくら好きでも多くても一日に一回しかその音楽、響きに出会うことがないものなのです。その日の音楽はいつも初めての出会いみたいなもんなんです。と、ブリュッヘンが言ったかどうかは知らないが、そのような新鮮な響きを感じることができ、さらに音楽に対するそのような真摯な誠実な姿勢態度がハイドンにはふさわしいものであるような気がしてならない。

アンコールで第2楽章を丸ごと演奏したブリュッヘンだ。

ブリュッヘンになじみがあるかと言えば、ハイドンなどと同じぐらいにしか馴染んでなかったというのが本音。CDはハイドン中期のものは全部聴いたことがあるが再度聴いてみたくなった。

その昔は、デイヴィット・マンロウと勘違いすることがあったぐらいでどうも印象があまり濃くなかった。マンロウは昔はリコーダの新譜を結構だしていたと記憶する。マンロウは確か不幸な死を遂げたはずだが、ちょっと記憶がごちゃごちゃしていた時期もこちら側にあった。

ところでトリフォニーの新日フィルにはごぶさたしており久しぶりとなったが、こんなものが置いてあった。

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今日の公演のためだけの出演者・一覧の紙切れ。一枚いただいたが、このようなものは今までどのコンサートでも見かけた記憶がない。あったかもしれないが、珍しいと思ったぐらいだから記憶が飛んでいる。

どこにだれが座って何をしているかが曲ごとに瞬時にわかるすぐれもの。それにメンバー、客演などの区別も出来る。新日フィルファンには欠かせないものだろう。

この日の客演演奏者は6名だろうか。渡部奈津子さんの名前も見える。当日のホルンの響きは非常に引き締まったもので12番同じレベルで吹かねばならぬ。ブリュッヘンの意思なのかやりくりの結果なのか一聴衆としては全くあい構わぬことではあるが結果は良質の響きであり指揮者の意思に沿った音楽造りに貢献していた。

おわり

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