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百家谨案:先生少喜谈兵,本跅弛豪纵士也。初受裁于范文正,遂翻然知性命之求,又出入于佛、老者累年。继切磋于二程子,得归吾道之正。其精思力践,毅然以 圣人之诣为必可至,三代之治为必可复。尝语云:「为天地立心,为生民立命,为往圣继绝学,为万世开太平。」自任之重如此。
“为天地立心,为生民立命,为往圣继绝学,为万世开太平。”とは、「乃公出でずんば天地は収まらず、愚昧な民はおのれの生き方も為すべきことも判らず、馬鹿揃いの後進のおかげで失われた本来の正しい学問は再興せず、この世界に未来はない」という、いわば大言壮語にすぎないらしい。張載は、学者・思想家として実力はたしかにあったが、やや傲慢なひとだったようである。
百家谨案:先生少喜谈兵,本跅弛豪纵士也。初受裁于范文正,遂翻然知性命之求,又出入于佛、老者累年。继切磋于二程子,得归吾道之正。其精思力践,毅然以 圣人之诣为必可至,三代之治为必可复。尝语云:「为天地立心,为生民立命,为往圣继绝学,为万世开太平。」自任之重如此。
“为天地立心,为生民立命,为往圣继绝学,为万世开太平。”とは、「乃公出でずんば天地は収まらず、愚昧な民はおのれの生き方も為すべきことも判らず、馬鹿揃いの後進のおかげで失われた本来の正しい学問は再興せず、この世界に未来はない」という、いわば大言壮語にすぎないらしい。張載は、学者・思想家として実力はたしかにあったが、やや傲慢なひとだったようである。