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すべり坂論法が論理学の教科書において説明されることはめったにないが、論理学においてはこの論法は誤謬として取り扱われるのが通例である。しかし、D. Waltonが詳細に論じているように、すべり坂論法はその形式によっ ては、たとえあまり有効な議論ではない(弱い議論である)にしても誤謬とは呼べないものもある。すると、実践的な観点からは、すべり坂論法を分類して誤謬である場合とそうでない場合に分け、そして誤謬でないすべり坂論法がどのていど有効な議論として機能しうるのかを考察する必要があるように思われる。
というわけで、この引用で言及されているDouglas Waltonの
"Slippery Slope Arguments" (Oxford Clarendon Press, 1992)を読んでみた。formal logicのfallacyは形式に関するものであるのに対してinformal logicのそれは内容に関わるものである。そして、このWalton著によれば、slippery slope argumentは、informal logicに属する。ならば、fallacyそのものにも二種類を認めるべきであるということになる。
さらにいえば、validとinvalidの概念も異なるのであれば、formal logicとinformal logicはそれぞれ全く別のものとして考えるべきではないかということにもなろう。後者は前者の特殊形態とか、あるいは前者の誤謬とかといった、負の評価をもって遇するのではなく。
付記。『大学』の「修身天下治国平天下」は、あれも一種のslippery slope argumentと言えるかも知れない。
フェアバンクは「連鎖論法」「前提とは関係なく生まれてくるおかしな推論」と呼んだところのものだが。
付記2。古代漢語にはformal logicもinformal logicもないから(古代中国は古代ギリシアではなく、後者の言語と思考から生まれたlogicの概念は存在しないので、当然ながらそのformalもinformalの分もまたない)、これはあくまで戯れ言の類いである。