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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

柳田節子 「宮崎史学と近世論」

2016年08月23日 | 東洋史
 柳田節子『宋元社会経済史研究』(創文社 1995年10月)所収。

 〔内藤湖南の〕変革期の発見は、現象的把握の面が強く、必ずしも、中国史をその構造の内的発展として捉えてはいない。 (「はじめに」)

 ではその構造とはなにかといえば、唯物史観である。そしてその内容は、宮崎は内藤以来の文化史観で近代主義で近世論だから駄目、ヨーロッパ中心史観だから駄目、宋代は中世だから佃戸は農奴に決まっているのに自由民だなどと世界史の基本法則に反することを言うから駄目という論旨である。もとは1974年発表されたものだが、この文章を収録した上掲の著書が1995年刊であることから窺われるように、箱根の山の向こう側の学派では、21世紀間近になってもこの一文の論が生きて拘束力を持っていたらしい。もっともいま私が要約したような直裁な物の言い方ではない。もっとまわりくどい。私はこれを1980年代半ばに初めて読んだ。尊敬する宋代史の先輩にこの文章についての意見を聞くと、「要は所詮はブルジョア史学だと言いたいんだろう」という返事だった。それからほぼ30年がたった今、その先輩の感想を自分の解釈と言葉とで敷衍してみた。

吉田純 「清代のことばの問題をめぐって」

2016年08月23日 | 地域研究
 梅棹忠夫/栗田靖之編『知と教養の文明学』(中央公論社 1991年12月)所収、同書115-142頁。

 言うまでもなく古代中国語の研究は、当時の読書人にとってみても不要不急のことにすぎない。知とか教養とか呼ばれるものには、一面で本来こうした性質があると思われるが、ただ生命まで犠牲にしかねないかのようなこの戴震たちの自己投入は、そこから連想される「遊芸」というようなイメージとはかけはなれた印象を与える。不要不急とも思われる古代中国語の研究に戴震たちが傾けたこれほどの情熱のみなもとがどこにあったかは、熟考に値する問題と思われる。
 (132頁)

 私もそう思う。