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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

陶行知与中国現代化課題組 『陶行知与中国現代化』

2012年10月25日 | 東洋史
 私が陶行知についてこれまで考えていたのと同じ趣旨のことが書いてあるので、面白くもあり、また面白くもなし。中国で発行されたことを考えれば、相当バランスのとれた評伝・紹介であろう。

(四川教育出版社 2008年01月)

朱葵菊 『中国思想通史 清代巻』

2012年10月25日 | 東洋史
 2012年10月05日「李沢厚『中国近代思想史論』」より続き。
 これは明末清初から1940年代のウェスタン・インパクト時期はもちろん、清末の厳復・康有為・梁啓超までを取り扱っている。しかし明中期から清朝初期までの第一次ウェスタン・インパクトともいうべき当時の西洋の科学・技術の影響を幅広く認めながら(論拠は挙げないものの『徐霞客遊記』までその一つとして数えるのには驚いた。「第一章 清代的社会背景和思想概況」本書5頁)、乾隆時代以後、次第にその影響が薄まり保守化が進んだ学術・思想状況にまったく触れることなしに、1840年代以降の19世紀西洋科学・学問の影響を取り込んだ結果としての厳復とその思想と作品にいきなり繋げてある。それを受け入れる下地としての清の科学・学問・思想情況についての説明分析がまったくない。これではやはり戴震ほかの啓蒙思想の設定が浮いてしまう。それともやはり中国独自の発展だという見地だからだろうか。実際、総論というべき「第一章 清代的社会背景和思想概況」では、そうなっている。「商品経済の発展と資本主義の萌芽によって、士民意識が覚醒し、思想文化の領域において、市民階層の利益と願望を反映した啓蒙意識が出現した」(同、5-6頁)。科学的知識や思惟が明中期以前に退化した一方で歴史的に進歩した啓蒙思想が興起するというのはどういうことなのか。理解できない。

(武漢大学出版社 2011年7月)

三浦國雄 『風水・暦・陰陽師 中国文化の辺縁としての沖縄』

2012年10月25日 | 地域研究
 蔡温の文章・政策に見える風水思想に基づく表現や論理が果たして本心からの信仰によるのか(風水は疑似科学というか宗教にだから信仰と謂って差し支えあるまい)、それとも中国留学生・通訳あがりで自身も中国系である(唐栄出身)以上、レトリック、文飾として用いただけであるのか。この問題はむずかしい。過去に読んだ研究書では、真栄田義見氏は文飾とみなし、佐久間正氏は本心からの信仰によるものとしている。この書もまたどちらかといえばその見方に与する。前二者の見解の相違に判断がつきかねて、なにかヒントはないかと思い沖縄全体の風水ほかの歴史的情況を知ろうと繙いてみた本書だが、日本“本土”よりも風水が広く深く根を張っていることはわかった。
 
(榕樹書林 2005年3月)