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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

金城正篤 『琉球処分論』

2012年10月12日 | 日本史
 「主観的な歴史観の表明」(安良城盛昭氏の批判、「あとがき」)でどこが悪いと開き直られては困る。せめて「処分」の当時における字義を証拠つきで示す所から始めてもらいたかった。なぜここで「処分」の言葉が使われたのかの説明もともに。それに、旧慣温存政策は、中央政府が望んで始めたものではなく、沖縄の既得権層(士族)が求めた結果だった。士族たちは自分たちの特権擁護の立場から琉球処分に反対抵抗し、それと同じ次元で、旧慣(従来の税制・地方制度など)の変更にも反対抵抗した。それは著者も認めている。それを、前者は否定しながら後者は肯定するというのでは、これも安良城氏の評したという「『科学的=合理的』な『首尾一貫性を欠き』」と言われても仕方がないのではないか。

(沖縄タイムス 1978年7月)

豊下楢彦 『昭和天皇・マッカーサー会見』

2012年10月12日 | 現代史
 「ワンマン吉田」政治のさらにその上に「ワンマン」として在った政治的アクターとしての昭和天皇。そしてそれは「政治的責任を負えないもの」「公に説明責任を果たし得ないもの」が「政治的過程に介入し影響力を発揮」(130頁)したということであったと。そしてそれを著者は「日本の政治と民主主義の根幹を突き崩すことを意味する」(129頁)としたうえで、こう総括する。

 仮に、この状況を評価せざるを得ないとすれば、日本の政治の持つ病根は限りなく深く、日本の民主主義は救いがたく未成熟である、と言わざるを得ないであろう。 (「第3章 「松井文書」の会見記録を読み解く」 本書129頁)

 ただしこの評価が、昭和天皇とマッカーサーついでリッジウェイとの会見時のそれを指しているのか、それ以後今日までの日本をも含んでいるのかは、著者は明確にはしていない。

(岩波書店 2008年7月第1刷 2008年9月第3刷)