書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

斎藤憲 『ユークリッド「原論」とは何か 二千年読みつがれた数学の古典』

2010年11月29日 | 自然科学
 なぜ古代ギリシアでのみ論証数学が発達したか。著者はその答えをこの著のなかで述べている(本書71-73頁)。その内容を私なりに言い換えれば、こうだ。
 論証という概念と技術は法廷弁論で発達した当時のギリシアは民主政で、市民が司法・立法・行政を直接担当していた。当然裁判も公開である。不特定多数の相手を説得するために、客観的証拠に基づいた、誰でも納得できる整然とした論理をもった弁論が発達した。ソフィストの議論である。その手法が、数学の公理から定理を導き出すための論証に適用された(具体的にはキオスのヒポクラテスによって。時代的には紀元前440年頃)。
 古代ギリシア(たとえばアテネ)では、法律というのは市民が知っているものであった(作り手で執行者でもだったのだから当たり前だが)。しかし、同時代の中国では、法律は基本的に王と官吏だけが知っていて、一般大衆は法の条文を知らなかった(実際には知られていたが、法は官のものであって民のものではないというのが通念=原則だったので、判決に不服で上告はできても、法の解釈や適用に異議を唱えることは許されなかった)。つまり人民にとっては裁判とは裁かれるだけのものであり、そのプロセスに主体的に参加することはなかった(これは清代まですっとそうであった)。要するに論証の発達する必要も土壌もなかったのである。著者の主張が正しいとすれば、なぜ少なくとも中国で論証数学が誕生しなかったかは、これで一応説明がつく。

(岩波書店 2008年9月)

武内英樹監督 『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』(2010年)

2010年11月29日 | 映画
 清良がブラームス「ヴァイオリン協奏曲」の第三楽章を演奏しながら微笑むのは、龍太郎やみんなが応援してくれているのをみとめてのことではなく、「オレの音楽をきけ」の笑いだったということを知って、この映画を作り上げたスタッフとキャストの真摯さにあらためて感嘆。正面から抱き合うこともなく、もちろんキスもないのに、清良と龍太郎のラブシーンはどんなに華麗で官能的なラブシーンでも敵わないと思えるほど、愛があふれていて、最高に素敵だった。

(Amuse Soft Entertainment 2010年10月)

「『ヘビ怖がるのは本能』京大発表、3歳児も反応」 から

2010年11月27日 | 抜き書き
▲「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2010年11月27日10時36分。(全)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101127-OYT1T00276.htm?from=main6

 「人がヘビを怖がるのは本能」とする研究結果を京都大学の正高信男教授らが発表した。
 ヘビによる恐怖体験がない3歳児でも、大人と同じようにヘビに敏感に反応し攻撃姿勢を見分けられることを示した。
 研究チームは3歳児20人を対象に、「8枚の花と1枚のヘビ」の写真からヘビを選ぶ場合と、「8枚のヘビと1枚の花」の写真から花を選ぶ場合で、反応する速さを比較した。ヘビを選ぶ時間は花を選ぶののほぼ半分の2・5~3秒だった。ヘビの中でも、とぐろを巻いて攻撃姿勢を取る写真への反応時間が短かった。
 4歳児34人、大人20人の実験でも同じ傾向が示され年齢による変化はなかった。ムカデやゴムホースの写真を使った場合、花との違いがなく、細長いものや気持ち悪いものに反応しているわけではないという。
 世界中でヘビを恐れない文化はなく、本能なのか学習なのかの論争が19世紀から続いてきた。正高教授は「経験で恐怖感が身につくのなら年齢によって反応が変わるはず。今回の結果はヘビへの恐怖が本能であることを示す」と話している。

 では‘本能’とは何だろう。

「天安艦撃沈魚雷の『1』、延坪島の砲弾でも見つかる」 から

2010年11月27日 | 抜き書き
▲「中央日報 Joins.com」2010.11.27 08:55:30。(部分)
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=135279&servcode=500§code=510

北朝鮮の砲弾から天安艦襲撃魚雷と同じ数字表記が見つかったことで、天安艦爆沈が北朝鮮の仕業という韓国政府の発表に疑惑を提起してきた一部の主張は説得力を失うことになった。北朝鮮が武器組み立て過程で部品を区分・分類するために数字をマジックペンで書いているという事実が改めて立証されたからだ。

 「1」と「1番」は違うだろ。それにあとから青インクで書き込んだものでないという証拠がない。言い出しっぺに立証責任があることは承知の上でなお言う。
 それにしても、いつも思うが「中央日報」のコメント欄も肥溜めだ。ここも、「何処かの誰かたち」の自作自演ばかりなのかもしれないが。しかし、「朝鮮日報」「東亜日報」のようにコメントを受け付けないようにすればいいのに。それをしないのは、「中央日報」日本語版が、この肥溜めを存在させておくことに何か意味や価値があると考えているからだろう。

友里征耶 『グルメの嘘』

2010年11月27日 | その他
 料理人の人気に寄生して、本の印税を稼ぎたいと目論むライターと、目立ちたがり屋の料理人、双方の利害が一致した結果が「サクセス料理人ストーリー本」の出版であります。 (「第二章 グルメ界の罪と罰」 本書39頁)

 本当に「美味しい店」だけが雑誌などメディアに取り上げられているのではなく、メディアに取り上げてもらいたいという意志の強い店が雑誌に載っているだけなのです。 (「第三章 飲食店業界の常識・非常識」 本書78頁) 

 この著者についてネットで調べると人格攻撃が多い訳が分かった。言っている内容自体にはなかなか反駁できないからだ。例えば、「カード会社との契約を破って客に5%の手数料を負担させている飲食店がある」と書かれてあるのを、「そんなこと書きやがってけしからん」と言ったら、それは自分から「それはウチのことです」と白状するようなもの、「ウチはちがう」と言っても、こんどは「本当にそうか」と鵜の目鷹の目で真偽を確かめられ、ひょっとすると追究の手は料理にまで及び、これまで世間での高い評判(これこそライターとの持ちつ持たれつの甘い関係の成果だが)におおいに助けられていたところもあった自店の料理が、いまさらあらためて料理そのもの一本で日々真剣勝負しなければならなくなるやもしれぬ、料理というものは真っ当に取り組めば取り組むほど採算がとれなくなって赤字になるのに、やればやるほどにそこまでと判ってくれる客も少なくなってゆくのに。そりゃ恨み骨髄だろうわさ。

(新潮社 2009年11月 2009年12月4刷)

「繊維密約、キッシンジャー氏履行要求 70年外交文書」 から

2010年11月26日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2010年11月26日15時0分、全2ページ、鶴岡正寛。
 〈http://www.asahi.com/politics/update/1126/TKY201011260221.html
 〈http://www.asahi.com/politics/update/1126/TKY201011260221_01.html

 キッシンジャー氏は牛場氏に「これだけは自分の発言として貴国(日本)政府にお伝え願いたい」と切り出し、「(ニクソン大統領の)この問題に対する関心は非常なものがある」「先般(69年)サトウ総理御来訪の際、早期解決につき話し合いがあったことも御承知と(の)通り」と続け、「単に交渉議事録をふやしてゆくことにはきょう味はない」と述べている。〔中略〕これに対して牛場氏は輸出規制について「業界の説得にはおのずから時間がかかる」と釈明。一方で「現在秘密をたもつため接しょう(折衝)の経緯はミヤザワ(宮沢喜一・通商産業)大臣に全部電話で報告しているが、貴官の今回述べたところは直接総理のおみみに入るようとりはかる積りである」と告げた。キッシンジャー氏は「ではぜひそう願いたい」と引き取った。 (「1/2ページ」)

 このあたりは若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋、1994年5月)でも詳細には語られていないところだ。若泉個人にとってはそもそも沖縄返還交渉が自ら任じた本丸の任務で、繊維交渉は当時の日米を取り巻く政治的状況から仕方なしに背負い込んだ付けたりにすぎなかった。

「<北朝鮮砲撃>実は中国を意識したものだった=狙いは後継体制の強化―英メディア」 から

2010年11月26日 | 抜き書き
▲「レコードチャイナ」2010-11-25 12:00:05、翻訳・編集/NN。(部分)
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=47323

 2010年11月24日、北朝鮮が韓国・延坪島を砲撃したのは、実は後継体制作りへの協力と引き換えに経済改革を迫る中国を意識したものだったと、英フィナンシャル・タイムズの中国語版ウェブサイトが論じた。〔略〕北朝鮮は先日、三男正恩氏を後継者として正式にお披露目したが、中国はその際、後継体制作りへの協力の見返りに経済改革の推進を絶対条件に掲げた。北朝鮮はこの圧力をはねのけようとしたのだ。 〔略〕金親子にとって中国式の改革を進めるということは、経済面で何かと中国の制約を受けるという望ましくない結果を迎えることになる。最悪は世襲統治そのものが崩壊する恐れも否定できない。それでも、もし北朝鮮が中国にならい経済成長を図りたいと考えているのなら、当時の中国のようにひたすら腰を低くする「韜晦(とうかい)外交」に出るはずだ。全く反対の態度に出たということは、中国モデルを踏襲する気がないことを示している。

 前近代の朝鮮は、経済発展するとより経済的に進んだ中国にさらに隷属しその干渉を受けることになるためにあえて原始的経済の状態に甘んじていたという岡田英弘氏の指摘を想い出した。

アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック/モーリス・ジョアイヤン著 座右宝刊行会編集部訳 『美食三昧』

2010年11月25日 | その他
 副題「ロートレックの料理書」。
 袁枚『隋園食単』と比べるべきは、サヴァラン『美味礼讃』ではなく、この『美食三昧』ではないかと思える。
 『美味礼讃』は美食家といえども所詮は食べる側のごたく、『隋園食単』と『美食三昧』は実際に料理を作る側の人間の覚え書き、レシピ。早い話が、このふたつを読めば料理は作れるが、『美味礼讃』を読んでも作れない。
 いかにもこの出版社らしく、書中あちこちにロートレックの画を、挿絵でもなく、もちろん料理の図解がわりとしてでもなく、挿入してある。さすがである。ここの『世界の美術』シリーズに、私は子供の頃から親しんでいるが、大きさも厚さもとても手頃で、装幀もとても趣味がよく、まさに美は掌中に在りという感じがする。何とも言えず素晴らしい。
 ところで私はなんでここで『隋園食単』を持ち出してきたのだろうか。そうか、いまから酢豚を作るからか。酢豚→蘇軾→袁枚の連想か(もう夜中だぞ!)。

(座右宝刊行会 1974年9月)

李剛/何景方著 野崎晃市訳 『川島芳子生死の謎 長春での生存説調査記録』

2010年11月25日 | 
 2009年の2チャンネルでこの著者たちを詐欺師呼ばわりし、訳者をその片棒を担ぐ者としてくそみそに貶したうえ、出版は決してさせない、その手もちゃんと打った、この件はすべて終わったと豪語していたスレッドがあったが、結局出鱈目だったわけだ。「中央日報」のコメント欄もそうだが、匿名でいい掲示板はどこもかしこもゴミ溜めである。その集積である2チャンネルはさしずめ肥溜めだ。きのう3時間かけて最初から最期まで読んだ私は馬鹿だった。「真に受ける奴が悪い」と、書いた奴ら(ほとんど一人の自作自演か?)は、せせら笑っているだろうが。
 で、肝心のこの訳書だが、訳が悪すぎる。直訳+2本の毛ぐらいである。編集はちゃんとしたのか。さらに、この版元の通弊なのか、フォントがちゃちで、印字も悪い。まるでワープロ原稿である。内容? 内容は、言うに足らない

(ブイツーソリューション 2010年6月)

「Tajikistan: A High-Flying Flag」 から

2010年11月25日 | 抜き書き
▲「The New York Times」November 24, 2010, By THE ASSOCIATED PRESS. (全)
 〈http://www.nytimes.com/2010/11/25/world/asia/25briefs-Tajik.html?_r=1&ref=world

  President Emomali Rakhmon has announced plans to build the world’s tallest flagpole. The 541-foot flagpole, outside the Palace of Nations in the center of the capital, Dushanbe, is to be completed in March. It will outstrip the current tallest flagpole, in Azerbaijan, which is 531 feet. No cost estimate was given by Tajikistan, which is one of the world’s poorest countries.

 そんなことに使う暇も金もないだろうに。となりのウズベキスタンやトルクメニスタン同様、ここの大統領もやはり今様ハーンのつもりなのか。それともこんなみえすいた国威発揚、愛国心の核をいまさらわざわざ作らなければならないほど、まだ近代国家として体をなしていないということなのか。分からない。