書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ああいえばこういうの見本(その②)

2010年11月05日 | 抜き書き
▲「asahi.com」2010年11月5日12時14分、「中国のネット、衝突映像流出を報道 政府は見守る構え」
 〈http://www.asahi.com/national/update/1105/TKY201011050177.html

 香港メディアの中には「漁船が速度を上げて海保巡視船にぶつかった」とする報道もあるが、「漁民は身をていして国に報いた」「自分の領海でぶつかって何が悪い」など、ネット上の掲示板では漁船の船長を英雄視する書き込みが支配的だ。

 こないだまで「巡視船が行く手を遮ったから」とか「日本側がわざとぶつけさせた」とか、はては「日本の巡視船がぶつかってきた」「謝罪と損害賠償を請求する」とか言っていたんじゃないのか。まさか同一人物(群)ではあるまいが、それにしても「漁民は身をていして国に報いた」「自分の領海でぶつかって何が悪い」とは言うに事欠いて何事か。
 さすがにここまで厚顔な開き直りは政府ができないのは当然である。

ああいえばこういうの見本(その①)

2010年11月05日 | 抜き書き
▲「環球網」2010-11-05 10:09、「日媒称互联网上出现疑似中日撞船事件录像片段」
 〈http://world.huanqiu.com/photo/2010-11/1230124.html

  录像截图画面清晰的显示了日舰强行大幅度猛转弯切在直行中国渔船前方的航迹,导致撞船的原因一目了然,就像地面上的交通事故一样,“谁撞上谁”根本不是谁负全责的依据。
 
 和訳:日本側が急なカーブを描いて中国漁船の進路を遮ったからぶつかったことが、この画像によって明らかとなった。(だから)これは陸上の交通事故のようなもので、「どちらがどちらにぶつけたか」は、どちらかに全面的な責任を負わせる根拠とはならない。

 面子の問題があるとはいえ、言い逃れのしかたがいかにも汚くて卑劣。ビデオの一番都合のいい瞬間の画だけを取り上げている。

「変死警察ジャーナリストに何があったのか 追及していた女性殺害事件との関連性は (J-CAST)」 から

2010年11月05日 | 抜き書き

▲「Infoseek楽天ニュース」 2010年11月4日21時1分。
 〈http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_dead__20101105_7/story/20101104jcast2010279998/

 黒木昭雄さんはツイッターで、変死が見つかる前日の2010年11月1日も、精力的に情報を発信していた。テーマは、岩手県内で08年7月1日に無職少女(17)が他殺体で見つかった事件を巡る疑惑についてだ。黒木さんはこれまで、週刊朝日などで、岩手県警が指名手配した容疑者とは別に真犯人がおり、警察は捜査の失態を隠していると批判し続けていた。〔中略〕その精力的な情報発信ぶりに、ネット上では、黒木さんがとても自殺したとは思えないと疑問の声が渦巻いている。

 父親の代理人をしている清水勉弁護士は、取材に対し、黒木昭雄さんから死の直前にメールなどで遺書が送られてきたことを明らかにした。家族にも、遺書とみられるメールを送っていた。こうしたことから、清水弁護士は、黒木さんが自殺したのではないかとみている。/家族が黒木さんを見つけたのも、自殺の危険を知って探していたためらしい。亡くなっているのが見つかった寺院の敷地内には、同じ警察官だった父親が眠っている墓があった。〔中略〕 関係者によると、黒木さんは、ジャーナリストとして、岩手の事件を巡る仕事上の悩みを抱えていたという。しかし、何が精神的な重荷になっていたのか、真相はまだナゾのままだ。

 結局何が言いたいのかわからないように書くのも、結構大変だと思う。

桂米朝編 『四世桂米團治寄席随筆』

2010年11月05日 | 芸術
 四世桂米團治(1896 - 1951)は、米朝師匠の師匠である。「ひと言で言って、陰気な人だった」と、別の場所で、米朝師匠はその人柄を評している。私生活はかなりいい加減だったらしいが、芸風はあくまで緻密で理詰めであったといわれる。その堅実で浮ついたところのない人柄は、この本に収められた文章からも十分に偲ばれる。
 はっきり言って、私の好みではない。渋いなら弟子の米朝師匠も渋い。しかし米朝師匠には、渋さと同時に華やぎもある。四世桂米團治師匠には、どうもその華やぎがない。だから反面、「玄人好み」と呼ばれたのだろうが、私はその地味さが一種の暗ささえ感じさせて厭である(ちなみに私は、芸とは好き・嫌いで良し悪しを判断できる、あるいはすべきものだと、常々考えている)。
 好きではない。好きではないが、以下に引く、彼が弟子の米朝に語った言葉は、芸人論として鉄案、言葉づかいの調子も含めて、古今の名言だと思う。

 芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒がええの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。値打は世間が決めてくれる。ただ一生懸命に芸を磨く以外に世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで。 (桂米朝「あとがき」から 本書372頁)

(岩波書店 2007年11月)