書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

白洲正子 『随筆集 夕顔』 

2005年06月05日 | 文学
 いい文句を抜き書き。

“おしゃれの元は虚栄心にあるのかもしれないが、羞恥心を欠いたおしゃれは、おしゃれのうちに入らない” (「おしゃれ」)

 次はいい文句ではない。おそらくは後の世に残る名文である。 

“私はひたすら確かなものが見たいと思った。知りたいと思った。その頃私の家には川上徹太郎氏夫妻が東京の家を焼け出されて住んでおり、小林秀雄さんや今日出海さんなどが訪ねて来るようになった。彼らの会話の半分も私には通じなかったが、何か凄いことをいってるらしい。これこそ私が生きて知らねばならぬことなのだと、勝手にそんな風に思いこんでしまった。
 私はお酒を飲むことを覚え、酔っぱらうことを知り、人の迷惑もかえりみずしゃにむに彼らの付合いの中に割って入った。それがどんなに滑稽なことだったか、今から思うと冷汗が出るが、気違いといわれようが、馬鹿野郎とののしられようが、後へ退くことではない、ここを先途と戦ったが、実は一人相撲をしていたにすぎない。相手はみな一騎当千のつわものであったから、いいようにあしらわれているうちに、いつしか私の狂気は醒めた。醒めた頃にはひとりふたりと世を去って、最後に残った大岡昇平さんまで死んでしまった。
 私にとっての昭和とは何であったのか。それは醒めるために見た夢であったような気がしてならない。今、私が曲がりなりにも物を書いているのは、先生たちの恩に報いたいためで、幽明境を異にしようとも、彼らは私の心の中で生きつづけており、私が死んだあとまでも生きていてほしいと願うからである” (「昭和と私」)

 また死者をとむらう言葉として、私の知るなかで山本夏彦『夢想庵物語』末尾の武林夢想庵とその娘の生涯を締めくくるくだり、そして山本氏が夫人の葬儀で読み上げた弔辞と並んで、現代日本語で書かれた誄文で比肩するものがない。

(新潮社 1993年9月)