書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

B.ファリントン著 出隆訳 『ギリシヤ人の科学 その現代への意義』 上下

2012年03月29日 | 西洋史
 〔・・・〕トマス・ヒース卿は、その基準的〔スタンダード 原文ルビ〕な大著『ギリシャ数学』(Sir Thomas Heath, Greek Mathematics, Oxford, 1921, Vol. I, pp. 3-6)において、「ギリシャ人は数学に対してそのような特殊な才能を持っていたか?」と自ら問い、なんの躊躇するところもなく自らこれにこう答えている、「この問いに対する答えは、要するにただ、かれらが数学の天才であったのはかれらが一般に哲学の天才であったことの一側面たるのみ、というにある。・・・・・ギリシャ人は、古代の他のいかなる民族よりもぬきんでて、知識をただ知識それ自らのために求める純粋な知識愛を所有していた。・・・・・さらに一そう本質的な事実はギリシャ人が一つの種族として思索家〔原文傍点〕であったことである。」 (「第一章 ギリシャ科学は近東の古代諸文明になにを負うか――技術と科学」、本書8頁)

 「われわれは、今日では、この見解を承認しえないものと認めている」と、著者は「その合理的思惟の能力において他のいずれの民族ともちがっていた」というヒースの結論を否定するのだが、だが、それではなぜギリシャ人は今度は歴史的事実として残るギリシャ人の合理的思惟の能力とその結果(科学的業績)が、「その合理的思惟の能力において他のいずれの民族ともちがっていた」のかを、この書で説明できていない。たといそれがまったくの独創でなく他から教えられたものであったにせよである。ではその教えた者がそれをギリシャ人のように、あるいは以上に、発達させえなかったのは何故かという問い。
 たしかにその理由あるいは原因を民族的人種的あるいは本質的議論に求めるのは不適であろう。著者がいみじくも指摘するように、「ギリシャ民族は純粋な一種族ではなくて混血民族」であったからである。
 しかし、「ギリシャ人は数学に対してそのような特殊な才能を持っていたか?」に対する答えを――問いの対象を科学一般にまで拡大してさえも――、「知識をただ知識それ自らのために求める純粋な知識愛を所有していた」ことに求めるのは、今日でも十分に有効な答えへの道しるべではなかろうか。著者に従い「古代の他のいかなる民族よりもぬきんでて」だったかどうかは別にして。またヒース卿のこれも言葉を借りれば、「一般に」、そう概して、例外の存在はもちろん認めつつ。知識愛のないギリシャ人ももちろん、それもおびただしくいたであろうし、その反対に知識愛に富む非ギリシャ人もまた数多いたであろう。ただしそれが結果、割合として知識愛のあるギリシャ人の数が知識愛のある非ギリシャ人に勝っていたのか、あるいは知識愛を受容する文化がギリシャに強く他文明・地域ではそうでなかったのか、それともいまだ解明されていない要素によってギリシャでのみ他の追随をゆるさぬ数学や科学や合理的思惟が発達したのか。それは判らぬ。

(岩波書店 1955年4/8月第1刷 1991年9月第13/6刷)