世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。
イエス・キリストの生涯は新約聖書の福音書から知ることができます。 イエス・キリストの生涯を見ると、イエス・キリストは明確な使命感と目的とを持って歩んでいかれました。
どんな使命と目的を持っていたかというと、例えばヨハネの福音書には、イエス・キリストは御自分がまことの羊飼いであり(ヨハネの福音書10章11節参照)、「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネの福音書10章10節) と言われました。 ですから、イエス・キリストが来られた目的は、一人ひとりがいのち溢れる生涯を歩む、そういうことのために来てくださったと言うんです。
またエリコの町にいた嫌われ者のザアカイの家に行った時に、イエス・キリストはこう語りました。 わたしは「失われた人を捜して救うために来た」(ルカの福音書 19章10節)のだ、こう言われたんですねえ。 ですからイエス・キリストが来られた目的は「失われた人を捜して救うため」だと言うんです。 「失われた人」というのは誰のことでしょう? それは、人生の意味を失い、生きる意味を失い、もう自分勝手に人生をさまよっている一人ひとりを捜して救うために来た、ということですね。
しかしイエス・キリストはこんなことも語っています。 マタイの福音書の中で、「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。」(マタイの福音書 10章34-35節) こう書かれています。 これはびっくり仰天のことばですねえ。 まるで家族の破壊者、親不孝の元になるためにイエス・キリストは来られたかのように、そんなふうに受けとめられてしまう文章です。 もちろんそういう意味ではありません。 イエス・キリストは破壊されている状況を建て上げ、二つのものを一つにするお方です。
このイエス・キリストの語られたことばは、旧約聖書のミカ書という所からの引用なんですね。 そこには、「息子は父親を侮り、娘は母親に、嫁はしゅうとめに逆らい、それぞれ自分の家の者を敵としている。」(ミカ書 7章6節) ま、こういうことばが出てくるんです。
どういうことかと言えば、イエス・キリストが来られることによって、こうした家族の混乱した状況、社会の混乱した状況が、より明確になってくるという訳です。 罪の現実が、よりはっきり見えてくるということなんですね。 それは個人の生活でも同じです。 イエス・キリストを知るということは、私たちの心の暗い部分を明るみに出すようなものです。 それは時には惨めな自分の罪の現実を知ることでしょう。 しかしイエス・キリストは、その罪を赦し命を与えるために来てくださったのです。
(PBA制作「世の光」2008.9.16放送でのお話しより)
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